Recover my heart, change the world.

Recover my heart, change the world.

日々の思想、小説、詩、エッセイ、悟り、妄想、体験、揺れる気持ち、音楽など、私の表現です。

Amebaでブログを始めよう!
自分との対話。

自分への圧力。



水は、涸れることは無い。

汗、血、涙、精液を流し続ける人間という生物。

何もしていなければ、死んでいくために生まれたようなもの。

自分という存在は、他人からするとどう映っている?



存在証明を繰り返す。

時の流れが早くなってきたと思うのは、

自分の細胞が滅んでいっている証拠。

もう、あまり時間は無い。


俺も、大切な貴方も。





それでも、

生きていれば、きっといいことがある。

自分のフィールドで、頑張っていこう。

自分の必殺技で、訳の分からない世界をテクニカルノックアウトしようじゃない。



今、

現在、現代、在る状況で、

もたらして頂いた環境と時間の流れの中で、

自分が尽すことが出来るベストを尽そう。

開拓は、もうやめにしましょうか。

自分の首を絞めることになるのかな。

人間関係も試験も就職も人生も全て、

相性とタイミングと縁なのですから。

それを総じて「運」といってしまえば、それが一番楽なのでしょうね。

自分らしさって何だろう。

時差はどうして生じるのだろう。

環境の違いはどうして確執を産むのだろう。

環境の違いと才能の違いequalであると誰かが言った。

それでは私は、この環境に在る限り一生才能が芽生えることは無い。

それでも私は、一輪の花を咲かせ、

それでも私は、自分が出来る限りの行動を起こして目的を達成することに全力を注ぐ。

その過程で死んだって、銅メタルだって、

後悔なんかしないさ。

稼いでても、後悔のある人生を送るほうがよっぽど嫌だ。

刹那を感じ、刹那を描きながら、それを美徳とする我々は、

やっぱり2012年で地球が終わってしまった方が好都合なのかもしれない。

いつの時代も生き残リ続けるのは愛だけ。

赤信号みんなで渡れば怖くない、これは要するに、

怖い所へ一人で侵入していくのは難しいが、集団心理であればそれは分業によって軽減される理論で、

自殺サークルの心理と似ているところがある。


やはり、生きているからには、

生きている証明を残したいものですよね。

貴方の場合、それは果たして何ですか?



社会の出来事は、あまり関心が無いと思う。

それでも社会からはなるべく見放されたくないとどこかで思ってる。

新聞は読まない。

ネットのニュースは見る様にしている。

テレビはもう全然。
(上村愛子は見ましたが。。)

自らが社会のシステムの一員、または奉仕し代償を得る事によって、

自分は安堵を得る。

と同時に、自分があの頃にはもう戻れないこと、すっかり歳をとりはじめていることを自覚する。



自分の存在証明。

やはり、宿命的なものを感じずにはいられないだろう。

物心ついた時から行ってきた行動に。

それは授かり物。

あなたは、神を信じていますか?

わたしは、神も幽霊もUFOも信じていないような気がしているけれど、

「運命」と「縁」といふものについては、従う様にしている。

だから、才能とかギフトとか天性とか、色々な言い方があって様々な人がカリスマになったりしているけれど、

それは95%以上が、「努力」と「継続」のハイブリッドな訳で、

それに+「閃き」や「プラスアルファ」が潜在しているだけじゃないのか。

きっとそうだ。きっとそうに違いない。



あなたの、存在証明は、何ですか。

私の場合は、分かりやすく言えば、演奏、ということになるんだけれども、

それが拙いものだから、自信を持てない訳であって、

それでも来週演奏があったりするので、

自分の人生と、自分の存在証明行為に、自信を持てるように、頑張ろう。おー。