あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします


備忘録なので
闘病関係ないです




最悪なお正月となりました
令和6年能登半島地震
私の住む地域は震度5

おせちやお菓子をダラダラ食べて
ゴロゴロしてた時にあのアラート音

ガタガタと戸が鳴って一旦止み
またアラート音
今度は横揺れが長く物が落ちる、倒れる

私の県は地震が滅多に無いため
アラート音にも慣れておらず大パニック
1〜2分でしょうか、揺れてました

テレビでは津波警報が表示されて
避難を促してましたが
この時はまだ避難する気はありませんでした


すると津波警報が大津波に変わり
アラート音が鳴り響く中、
NHKのアナウンサーさんが
「大津波警報が出ました!今すぐ逃げること!」と叫んだので弟が「ダメだ、もう逃げよう!」

あれで避難のスイッチが入ったと思います

実家も海がすぐそばなのに…
本当に呑気で平和ボケですよね

スマホとお財布だけ手に取って
早く!早く!と言ってるのに
こたつにもぐって猫を探す母

大津波って言われると
やはり東日本大地震を思い出し
あの光景が私の住むこの街にも…って思うと足が震えました

でも母はまだピンときてなくて
猫を探し続けるので
めっちゃキツく言ってしまったアセアセ
ごめんやわ
だって絶対逃げ遅れるタイプ
1人にしてなくて良かったと心底思いました

ここで町内無線、サイレンが鳴ってたので
足がもつれて転がるように車に乗り込みました

2台に分かれて
パニクってるからお互い行き先を決めず
とにかく高台に!となったものの
バラバラの方向に向かってしまって集合場所をあらかじめ決めとかないとな、って思いました


高台にて


高台につくと

私達の他、避難してきただろう車が2台

私達は意外に初動が早かったのか

そのあと続々と避難の車がきてました


そのあと母と弟のいる避難所に合流し

しばらく待機のち、家に帰宅しましたが

反省点がいっぱいアセアセ



やっぱり1番は地震に慣れてないこと

災害グッズなど何一つ用意してなかった



なんとなく大丈夫だろう、という過信

義理両親は呼びかけても避難すらしてなかった



有事の際の集合場所をきちんと決めてない

今回スマホ繋がったから大丈夫だったけど万が一の時の居場所は互いに把握しといた方が絶対いい



あと私は母達の避難所に合流する前、高台から降りて海が近い実家に戻り猫の様子と鍵がかかってるか確認しに行ってしまいました



何もなかったから良かったものの

やっぱりどこかで津波来てないみたいだし一瞬だけなら大丈夫だろうってバカの代表みたいなことしてしまいました



母の事言う資格なし



そんなわけで…

お正月ということもあり

たくさんの帰省中の方や観光客の皆さんは

交通機関のマヒや慣れない土地の被災で大変だったと思います


北陸民も道路が通行止めで

帰れず大変な思いをされてる人も

たくさんいました



でも、

みんなが集まるお正月のおかげで

足の悪い母を1人にせず

一緒に避難できたことにホッとしてました



平日だったらみんなバラバラだったから

不謹慎かもしれませんが

家族全員が揃うお正月で本当に良かった



あと

NHKのアナウンサーさん!山内泉さん

あの強い口調での必死な呼びかけがなかったら避難してなかったかもしれません



結局私達は無事に帰宅できて

良かったんですけど



釜石市の津波記憶石には

こんなメッセージが刻まれてるそうです

100回逃げて

100回来なくても

101回目も必ず逃げて!



前回も大丈夫だったから

今回は逃げなくてもいいでしょ、なんて

思わないようにしよう



まだまだ余震が続いてます

引き続き、気を引き締めて過ごします



これ以上被害が拡大しませんように







前回の投稿に心を寄せてくださって

本当に感謝致します!

ありがとうございました

今回自分用の備忘録なのでコメ欄閉じますね

いつもありがとうございます!