お引越しをしてからも相変わらず閉じこもりは続きました。往診に来て下さった先生が以前に

先生「この病気になった人はほとんど離婚してはります、支えるほうが限界になるんですよ。」

と言う言葉を聞いていました。ロイスも何度も諦めようと離婚しようと思いましたが、子供が二人いますし、他人の子供を誰か育ててくれる人がいるだろうか?離婚して再婚すると絶対幸せになれるのだろうか?今より幸せになれる確信もありません。努力しても努力してもクラークは相変わらずだったので、一度田舎の父に離婚したいと言いに行くと

父「クラークが元気でそうしているなら離婚したらいい、だけど違うやろ?クラークは病気でそうしているのやろ、旦那が病気になったら離婚するのか!」


確かに父の言う事は正しいと思いましたが、ロイスは毎日が本当に辛かった。クラークは別にどこがどうってことなくただ外出できないだけでした。人から見たら家族を養う責任も無く働かず3食食べていました。そうして子供が小学校に行く前の年、ロイスは校区の小学校ではクラークの噂を聞いて子供がいじめられるかも知れないと思い、私学に入れる決心をしました。

当時お受験の真っ最中、皆さん幼稚園から小学校受験の為に塾に通わせていらっしゃいました。

ロイスは本屋さんで試験の模試のプリントを買って家でさせることにしました。


毎朝クラークにお願いして、幼稚園に行く前にプリントを一枚娘にさせてくれるようにお願いしました。

このプリントは楽しいプリントで間違い探しや、形遊びや正解するとやった!と思えるような楽しいプリントでした。クラークは別にすることも無かったのでプリントを楽しみに毎朝娘と一緒にしていました。

毎朝一枚のプリントですが毎日続けると半年では相当な量になります。そうして下の子供の爪切りもお願いしました。子供の爪はとっても早く伸びます。クラークは何もすることが無かったので、爪が伸びるのが楽しみになっていたようです。そうして試験には運動もありますから庭でボール遊びもお願いしました。クラークは娘と一緒に楽しそうに遊んでいました。


そうして恨みや背筋を伸ばす呪縛から少しづつ離れ、興味が子供に移って来たのだと思います。

引越ししてその年の11月閉じこもりから4年目に入った時だったと思います。

七五三のお参りに娘たちに可愛い着物を着せて、神社にお参りに行きました。二人そろって着物を着せるとお人形のように可愛かった。SS癌と一緒にお参りに行って帰って来ると、家の電信柱の陰にクラークが恥ずかしそうに立っていたのです・・・・


その時の驚きは今でも思い出せます。一人では絶対に外に出なかった人が一人で外に出て来たのです。可哀想に可愛い娘のお参りに一緒に行きたかったに違いありません。帰って来るのをひたすら電信柱の陰で待っていたのかと思うと涙が出て来ました。自分でもどうしょうもない、なぜ外出できないのか、なぜ体が言う事を聞かないのか、病気になった人にしかわかりません。


そうして、その時から少しずつ本当に少しずつ一緒に出掛けました。まず会社に一緒に行って10分で一緒に帰る、次の日は30分と言う風に毎日一緒に出勤しました。決して無理強いはしませんでした。そうして会社に送って、電話をくれたら迎えに行く、ちょっとずつ時間を増やして行きました。そうしてついに一人で会社に運転して行ける日が来ました。


一人で会社に行ってくれた日、クラークを見送って大泣きしました。長かった辛かった日々を振り返って、夢のようでした。この時クラークは何の治療もしていませんでしたから、薬は飲んでいませんでした。今は良い薬がありますから、良い薬にめぐり合っていればもっと早く復帰できたのかもしれませんが、過去を振り返っても戻りませんからそんな事は考えても仕方がありません。


会社には行けるようになりましたが、電車や飛行機にはまだ乗れませんでした。でもそんな人いっぱいいるし、とりあえずまだ過去を引っ張っているところもありますが、毎日会社に通う事が出来るようになりました。ロイスはクラークを信じていました。ある時途方に暮れて行った大学病院の先生に

先生「ロイスさんクラークさんは精神病患者だと思いますか?」

と聞かれましたが、そうではありません。自分の考えをコントロールできないだけだとと思いました。


そうしてまさかのロイスがパニック障害に・・・次回に書きます