シティーポップの先駆け、南佳孝氏のLIVEが近くなってきました。
先日、昔の松本隆氏の風街ラジオを聴いていて、タンゴの夜間飛行やスコッチ&レインを絶賛していました。
南佳孝氏がゲストの時には、初めてストーリー性のあるA面、B面をヒロインとヒーローサイドに分けたアルバム摩天楼のヒロインの話になり、自身が好きだった午前七時の悲劇がラジオで流れて聴き入りました。
今はもう終わったラジオ番組が好きな時に、聞けるだけでなく観れるのは、現代ならではの恩恵だと感謝してます。
この曲とアルバムタイトルの摩天楼のヒロインの2人の女性像をたったの一文字違いで、使い分けていた松本隆氏の凄さを感じたアルバムでもありました。
これは今使えるのかどうか微妙ですが、老婆の物乞いがわたしで、摩天楼のヒロインがあたし、と使い分けられていて、2人の出自が知れる気がしたものです。
そしてこのアルバムの後に、フォークや歌謡曲とは違うニューミュージックの始まりだった様に思います。
それには、ニューミュージックのハッピーエンドの4人の存在が大きく、大瀧詠一氏のア、ロングバケーションへと完結して行った様に感じています。
自身は、大瀧詠一氏の、ナイアガラムーンまた輝けば、に古きアメリカの良さを満喫していた若者でしたが…。
サルサ、ボサノバ、サンバ、タンゴにワルツ、フラメンコ、スカ、レゲエ、ブルース、ジャズetc.を日本語にのせて歌う唯一の存在としての南佳孝氏のファンは、未だに続いています。
そうそう、あの頃は、錚々たるオシャレな大企業のCM曲で南氏の曲を聴いていました。
当時はクレジットが無く、レコード店からあのCMの曲は誰?なんて電話をよくいただいていました。
そして、全英ヒットチャートに初めて登場したサディステックミカバンドの加藤和彦氏も永遠の師匠的存在です。
粋と言う言葉がピッタリの氏でした。
彼は服飾の師でもあり、やせ我慢の美学そのものでした。
ファッションと音楽と遊びが文化だったあの頃。
デヴィットボウイとロッドステュアートのザ、グレートアメリカンソングブックは、生で聴きたかったのですが、今となっては機会はもう皆無です。
自身も含めて皆がそんな年齢になってきたんだと感じるこの頃です。
そんな氏との出会いも叶い、若い頃に聞きたかったあれこれを聴ける機会を得られた事は、貴重な思い出になっています。
ラジオからだったのかな?氏の曲を初めて聴いたのは、酔泥天使、えっ、タンゴって思った様な気がしてます。キャラメルママだったのかな?
そんなこんなで、6月28日、日曜日は、下関JAZZ CLUBビリーで、南佳孝LIVEを満喫したいと思っています。
ぜひ皆さんお誘い合わせの上、会場でお会いしましょう。

