《本当に怖いのはエルニーニョの翌年から翌々年》
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〈早くも北関東は桜吹雪の季節に〉
(4月3日)
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地球規模で相次ぐ異常気象。今冬だけでも、一部は猛暑、一方は極寒と枚挙にいとまがない。日本でも桜前線が史上最速で駆け上がっている。こうした中でも心配は東京五輪であろう。コロナだけではない。気温への不安も尽きない。マスコミこぞって「暑い、暑い」の連呼である。でも果たしてそうだろうか。その逆はないのだろうか。調べると様々な疑問が浮かび上がる。先ずは「エルニーニョ現象と夏の関係」を追った下記をご覧いただきたい。
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《エルニーニョ現象と冷夏の相関》
☆エルニーニョの発生期間
★以降にあった冷夏年代
◎参考/主な大地震
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☆1972年春~73年春
★1974年、1976年
〈勢力の強いオホーツク海高気圧の影響で全国的な冷夏。夏の平均気温は北・東・西日本で平年を1℃下回り、農作物は全国的に不作〉
◎1974年、伊豆半島地震、M6.9
☆1982年春~83年夏
★1983年
〈オホーツク海高気圧の影響で全国的な長梅雨と北日本で低温〉
◎1983年、日本海中部地震、M7.7
☆1986年秋~88年冬
★1988年
〈オホーツク海高気圧の勢力強く北海道から中国地方、ことに北日本や関東地方では平年を2~4℃下回る異常低温〉
★1989年
〈6月から7月にかけて、オホーツク海高気圧の影響から低温。その後、高温はあったものの、台風相次ぐ〉
◎1987年、日向灘で地震、M6.7
◎1989年、伊豆半島沖群発&海底噴火
☆1991年春~92年夏
★1993年
〈夏場に暖房が入るほどの異常低温。米不足はタイからの緊急輸入で凌ぐ。8月になっても梅雨は明けず、日本列島は歴史に残る冷夏に〉
◎1994年、北海道東方沖地震、M8.2
◎1995年、阪神淡路大震災、M7.6
☆1997年春~98年春
★1999年
〈四国・九州・奄美のみで低温傾向に〉
◎1998年、石垣島南方地震、M7.7
☆2002年夏~03年冬
★2003年
〈10年ぶりの冷夏。西日本から東北地方まで梅雨明け遅く米や野菜不足深刻。ことに7月の低温が顕著で北日本では平年を2.9℃、関東地方でも2.2℃下回るなど北海道から北部九州の広範囲で1~3℃平年を下回った〉
◎2004年、中越地震、M6.8
☆2009年夏~10年春
★2009年
〈この年も梅雨明け遅く日照時間が短かったことから農作物は高騰。前年まで続いた猛暑の反動もあって、感覚的な冷夏、とみる説も〉
◎2011年、東日本大震災、M9.0
☆2014年夏~16年春
★2017年
〈6月は西日本、8月は東北地方で冷夏〉
◎2016年、熊本地震、M7.3ほか
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あくまで、エルニーニョ現象を前提にしているが、こうした時期ほど冷夏になりやすいと言われている。でも何か怪しい。確率的に多いだけで絶対ではない。上記通り、エルニーニョと並行して冷夏になった年代はあるものの、それ以上に翌年から翌々年の方が(冷夏であることが)多いことにお気付きかと思う。
(エルニーニョ現象の発生期間)
(気象庁データより)
現在、エルニーニョ現象の終息から2年。その後に始まったラニーニャ現象も収束の兆しにある。ならば冷夏の可能性だって排除出来ないであろうに今夏の五輪は暑さのことしか眼中にない。もし冷夏なら、どう対処するつもりだろうか。前回(1964年10月開催)の大会では「東京は寒すぎて夏の競技には適さない」といった不満が続出していた。
にも関わらず、各メディア共に「東京の暑さ」を煽り立てるだけで、こうした事実はひた隠しである。そして、未だに「やはり秋開催が好ましかった」といった愚論を蒸し返している。何か暑くないと困る事情でもあるのだろうか。暑さ対策(2322億円)が『意図』したものでなければ良いのだが。
因みに、エルニーニョ現象は冷夏を招くだけでなく大地震も多い。それも終息から2年以内である。首都直下地震の発生は『2020年±3年』といった説もあることから、念のため・・。
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《参考/過去記事》
東京五輪は本当に暑いのか(1)
https://ameblo.jp/rohitigu/entry-12478047238.html
東京五輪は本当に暑いのか(2)
https://ameblo.jp/rohitigu/entry-12478047674.html
東京五輪は本当に暑いのか(3)
https://ameblo.jp/rohitigu/entry-12478048155.html
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《余談》
(絶対服従の社会)
選抜高校野球は東海大相模の優勝で幕を閉じた。夢が潰えた学校は残念だろうが青少年の野球は勝つことだけではない。一生懸命プレーして悔いのない高校生活を送ることにも意味がある。だが不思議なことも。判定に対して抗議する場面が見られないことだ。皆無てはないものの限りなく少ない。高校生らしくない、と教えられているからだろうか。明らかに誤審と思われるケースでさえ判定には黙って従っている。
古来より我が国は縦社会である。上意下達こそが最高の仕組みと考えられてきた。上司の命令には逆らえない。例え、どんなに間違っていようとも従わねばならないのだ。正論であり順風満帆なら問題はない。それも一度歯車が狂い出すとどうなることか。全ては昨今の日本社会が物語っているのではなかろうか。
自分の考えは述べない。いや、そういった環境にないというべきか。上からの指示(決定)は絶対的なものであり、反論してはいけないと教えられている以上、自らの意思などないに等しい。結果として旧態依然とした魔物に支配されたままに後塵を拝してゆく。欧米に遠く及ばす中韓にも抜かれる現実が全てを物語っているのではなかろうか。官僚然り民間企業然り。高校球児に求める理想像が国力衰退の一因にも思えるのだが。