コロナ渦が止まらない。東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡にも緊急事態宣言が発令された。先行した欧米では街中から人が消え、あたかもゴーストタウンの様相である。停滞した経済活動によって収入は途絶え生活苦は日を追って厳しくなってゆく。盛況なのは融資依頼殺到の金融機関に失業保険の申請で溢れるハローワークだけというから他人事ではない。明日は我が身か。
こうした状況にあって頻繁に登場するのが過去との比較だ。それも、新型コロナの影響は、リーマン(ショック)クラスか、それとも大恐慌か、といった文言である。確かにリーマンショックは深刻な不況を招いた。失業率もかなりの高さであった。しかし、それでも絶望的な数値ではなかった。いかに仕事がないとはいえ、介護や体力を伴う建設土木分野といった人手不足は、今と変わらなかったことからも明らかであろう。
(失業率の推移/1980年~)
大恐慌の場合はどうか。これは、1929年9月の(米国)株価大暴落に始まり、1932年までの5年間だけでも世界のGDPが15%も減退する大惨事でもあった。この恐慌では、個人所得、税収、利益、物価ともに大幅下落、国際貿易は50%以上減少した。米国の失業率は23%に達し、一部の国では33%にまで上昇したとされる。
(ネットより引用)
一方、リーマンショックに於けるGDPの減少率は1%未満(大恐慌の1/15)であったことから、その違いは歴然といえよう。
現在はどうか。同じ不況でも、リーマンショックや大恐慌が生産に見合った消費が伴わないのに対して、コロナ渦では生産活動すら儘ならないのだ。景気後退と品不足の同時進行といった前代未聞の事態に直面することになる。ならば、GDPは25%以上激減し、失業率は30~40%にも及ぶ可能性だって否定出来ない。これがどれほど恐ろしいことか。
バブル崩壊やリーマンショックでは街中が至るところ失業者で溢れた。首都機能の象徴たる都庁通りでさえ段ボールハウスで埋め尽くされた。それでもGDPの減少率は1929年(の大恐慌)比べて1/15程度だったのだ。もし大恐慌か、それ以上になたら、どうなってしまうのだろう。相次ぐ倒産とローン破産から3人に一人が職場も家も失う時代に、、。この後は述べるまでもない。
(段ボールハウスで埋め尽された都庁通り)
(公園も全て同じだった)
(写真はネットより引用)
また、負の時代になるや、災いも次から次と降りかかるから不思議だ。1910年代から20年にかけては、スペイン風邪、関東大震災、大恐慌、そして世界大戦へと続いた。現在も似た状況にあって今度はバッタの大軍(群)である。進攻の速さは尋常ではない。アフリカを制圧して、中東、そして中国まで侵略してしまった。深刻な生産の低下に加えて食糧まで失ってしまうのか。衣食住、全てに困窮する社会が、直ぐそこまで迫っている。
もしや、地球から見て人間はウイルスそのものであることから、抗体(コロナ菌やバッタ)を使って我々を駆逐しようとしているのではないか。果たして人類は、こうした刺客に勝てるのだろうか。敗北なら、この社会のシステムは機能不全に陥り、根底から再構築に追い込まれることになる。まだ戦争は始まったばかりだ。
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《折り紙》
(バッタにも天敵が・・)
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「お前も、あの国だけには行くんでないよ」
「・・・・」
「佃煮にして食われてしまうんだと」
「怖っ!」