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(次は日本列島が危ない?? ニュージーランド沖、中国・四川省で大地震)
https://blogs.yahoo.co.jp/hiroyzumi1118/65514315.html
(18日付けのヤフーブログ記事から続く)
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一昨日、山形県沖を震源にM6.7の地震があり、新潟県の村上市では震源6強を観測した。この数日だけでも、ニュージーランド沖でM7.4、中国・四川省にM6.0と相次いでいる。6月は地震が多い。ことに梅雨の谷間は多い。歴史的に残る大地震も数多く発生している。この先は大丈夫だろうか。
一方、先月(5月22日)は、メキシコのポポカテペトル山がまた大噴火を起こした。昨年(の5月)には、
ハワイのキラウエア火山も爆発的な噴火を起こしている。これは1924年以来だ。1924年といえば関東大震災(1923年)とも時期を同じくする。しかも首都圏を襲った大地震は関東大震災だけではない。東京湾を震源に発生した明治東京地震を忘れてはならない。 今から125年前の今日(1894年06月20日)、M7.0の大地震が首都圏を直撃した。恐らく、東京湾を震源とする地震では、有史以来でも最大規模ではなかろうか。
被害は東京から横浜一帯に及び、死者31名、家屋損壊130棟のほか、当時としては我が国随一の高層ビルであった12階建ての浅草凌雲閣の一部が崩壊するなど大きな被害を出した。
《浅草凌雲閣》
(地上52mで当時としては日本最高層建造物)
この地震で、樋口一葉は「水の上日記」に、谷崎潤一郎は「幼少時代」に書き残しているように、隅田川や荒川、それに埼玉県の元荒川周辺に深刻な液状化被害を招いたようだ。
被害が意外にも小さく済んだのには理由がある。震源は東京湾北部と位置的には最悪だったものの、深さ40から80kmでの発生も幸いしたのだろう。しかも当時の東京は今日ほどの大都会ではなく、ことに湾岸地帯は寒村であり、人口も稀薄な田舎町だった。
1894年、東京都の人口は1.829.583人で現在の札幌市より少なく、総人口(42.430.985人)に対する比率も約4%でしかなかった。それが今、東京湾岸は次々と開発され京浜から京葉の臨海部だけでも300万人以上が居住している。
もし同じ地震が起きたならどうなるだろうか。海岸線は埋め立てられ、この上だけでも当時の東京の人口を上回る人々が暮らしているのだ。東日本大震災では、震度5の揺れにも関わらず、これらの地域が液状化して深刻な被害をもたらしている。下町の住宅密集地帯も心配だが、こちらだって収拾はつくまい。
(南関東は震度5で崩壊する↓)
https://blogs.yahoo.co.jp/rohitigu/35659467.html
東京湾には巨大地震の巣がある。2年前の5月6日にも記したように東京湾では1989年にM8.3から8.7に相当する巨大なサイレント(ゆっくり)地震が起きていた。これは大地震の予兆とされ東日本大震災の数年前にも観られた現象といわれる。相当前のこととはいえ地殻変動の歳月からすれば30年など無いに等しい。
国の有識者会議によると、M7クラスの首都直下型地震の発生確率は30年以内で約70%とし、死者2万3千人、経済的損失は約95兆円と見込んでいる。だが、これも内陸であり、どれだけ東京湾内での発生を想定しているだろうか。もし、明治東京地震が地下浅くでの再来なら、被害総額は天文学的数値になるであろう。
西暦869年、三陸沖に発生した貞観地震は、M8.7に達する巨大地震で、東日本一帯に甚大な被害を生じさせた。その9年後には、M7.4の相模武蔵地震が関東地方を襲い、死者多数であったと記されている。
貞観地震を2011年の東日本大震災とするなら9年後は2020年だ。そう、東京オリンピックの開催年でもある。あくまで過去との比較であって整合性には乏しいものの、これまでの経緯には類似点も多く、なにやら嫌な予感さえ漂う。ディズニーランド改め、ディープシー(深海)ランドにならないことを願いたいものだ。
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