日向灘の地震に箱根山の噴火警戒情報と、このところの日本列島は不穏な空気に包まれている。天候も荒れ模様で各地に大雨警報や避難勧告、避難準備情報が次々と発令された。大地震や噴火は、こうした荒天明けの穏やかな日和に限って多い。歴史を震撼させた鳴動も全て、こうした状況の下で発生している。全国的にもう暫くは要注意ではなかろうか。
〈天候(気圧)の変わり目は大地震の厄日〉
https://blogs.yahoo.co.jp/rohitigu/36209197.html
(過去記事より)
2011年以降、毎年のように大地震に見舞われる日本列島。東日本大震災の余波とはいえ、まだ終息の兆しは一向に見えない。東京五輪まであと1年。何やら嫌や予感も・・。
過去にも似たケースはあった。1888年から1900年までの約12年間のことだ。意外に知られていないが、下記の如く、この時期にも大地震は連続していた。
◇◇◇◇◇◇◇
☆主な被害地震
★被害甚大な火山噴火
(恒常的な噴火は除く)
☆1889年07月28日、熊本地震、M6.3
(熊本県一帯に被害。死者20名)
★1888年07月15日、磐梯山噴火
(村落埋没、死者行方不明461名)
☆1891年10月28日、濃尾地震、M8.0
(内陸最大、震度7、死者行方不明7273名)
☆1892年12月09日、石川・富山で地震、M6.4
(津波有り、死者2名)
☆1893年06月04日、色丹島沖で地震、M7.7
(色丹島で2~3mの津波)
☆1894年03月22日、根室半島沖で地震、M7.9
(北海道・東北で津波被害。死者1名)
☆1894年06月20日、明治東京地震、M7.0
(東京湾を震源に発生、死者31名)別記
☆1894年10月22日、庄内地震、M7.0
(最大震度7、死者726名)
☆1895年01月18日、霞ヶ浦付近で地震、M7.2
(死者6名)
☆1896年06月15日、明治三陸地震、M8.5
(死者行方不明2万1959名と被害甚大)
☆1896年06月16日、三陸沖で地震、M7.5
(明治三陸地震で最大の余震)
☆1896年08月31日、陸羽地震、M7.2
(最大震度7、死者209名)
☆1897年02月20日、宮城県沖で地震、M7.4
(地割れ液状化で家屋の被害多数)
☆1897年08月05日、三陸沖で地震、M7.7
(宮城、岩手で津波による浸水被害)
☆1898年04月23日、宮城県沖地震、M7.2
(北海道から近畿で有感、岩手・宮城で浸水)
☆1898年09月01日、石垣島東方で地震、M7.0
(多良間島沖で発生)
☆1899年03月07日、紀伊大和地震、M7.0
(木ノ本、尾鷲で死者7名)
☆1899年11月25日、日向灘で地震、M7.0
(同日、M6.9も)
☆1900年05月12日、宮城県北部で地震、M7.0
(家屋被害大、死傷者17名)
★1900年07月17日、安達太良山噴火
(死者行方不明72名)
〈天候との関連は不明ながら、6月と7月に多いことが分かる。この時期は梅雨であることから、地震も火山噴火も、やはり梅雨の合間(荒天明け)だった可能性が高い〉
◇◇◇◇◇◇◇
順序は異なるが、三陸沖の巨大地震(明治三陸地震)があり、熊本地震もある。そして日本各地を満遍なく襲っていることが分かる。ならば、残るは内陸型で最大とされる濃尾地震であり、近畿や北陸でも未発である。ことに心配なのは首都直下「明治東京地震」型であろう。
明治東京地震は東京湾北部を震源に発生した大地震だ。当時、12階建てで日本一の高さを誇った凌雲閣が破損するなど、南関東一帯に大きな爪痕を残した。但し、当時の東京湾沿いの多くは漁村であり、人口も希薄な寒村であった。埋め立て地も僅かでしかなかった。
《浅草凌雲閣》
それが今、東京湾は埋め立てられ、我が国有数の工業地帯を生み、屈指の人口密度を誇る住宅地に変貌した。この120年間で湾岸地帯の住人は約50倍に増え300万人を超えた。地盤の大半が液状化の危険に晒されるのだ。明治東京地震では犠牲者31名とはいえ状況がまるで違う。
(東日本大震災で飛び出したマンホール)
あと1年に迫った東京オリンピック。予断を許さない自然災害に経済悪化の危機。想定外の記録的冷夏に未曾有の不況に突入する可能性だって排除出来ない。平和の祭典だけに何事もなく完結すれば何よりだが。
◇◇◇◇◇◇◇
《追記/5月22日》
〈早朝の帯状群雲〉
其々の向きは北北東から南南西。2017年05月16日の雲と良く似ているが、この時は5月22日、北海道東方沖を震源にM5.7の地震があった。果て・・。
〈天候(気圧)の変わり目は大地震の厄日〉
https://blogs.yahoo.co.jp/rohitigu/36209197.html
(過去記事より)
2011年以降、毎年のように大地震に見舞われる日本列島。東日本大震災の余波とはいえ、まだ終息の兆しは一向に見えない。東京五輪まであと1年。何やら嫌や予感も・・。
過去にも似たケースはあった。1888年から1900年までの約12年間のことだ。意外に知られていないが、下記の如く、この時期にも大地震は連続していた。
◇◇◇◇◇◇◇
☆主な被害地震
★被害甚大な火山噴火
(恒常的な噴火は除く)
☆1889年07月28日、熊本地震、M6.3
(熊本県一帯に被害。死者20名)
★1888年07月15日、磐梯山噴火
(村落埋没、死者行方不明461名)
☆1891年10月28日、濃尾地震、M8.0
(内陸最大、震度7、死者行方不明7273名)
☆1892年12月09日、石川・富山で地震、M6.4
(津波有り、死者2名)
☆1893年06月04日、色丹島沖で地震、M7.7
(色丹島で2~3mの津波)
☆1894年03月22日、根室半島沖で地震、M7.9
(北海道・東北で津波被害。死者1名)
☆1894年06月20日、明治東京地震、M7.0
(東京湾を震源に発生、死者31名)別記
☆1894年10月22日、庄内地震、M7.0
(最大震度7、死者726名)
☆1895年01月18日、霞ヶ浦付近で地震、M7.2
(死者6名)
☆1896年06月15日、明治三陸地震、M8.5
(死者行方不明2万1959名と被害甚大)
☆1896年06月16日、三陸沖で地震、M7.5
(明治三陸地震で最大の余震)
☆1896年08月31日、陸羽地震、M7.2
(最大震度7、死者209名)
☆1897年02月20日、宮城県沖で地震、M7.4
(地割れ液状化で家屋の被害多数)
☆1897年08月05日、三陸沖で地震、M7.7
(宮城、岩手で津波による浸水被害)
☆1898年04月23日、宮城県沖地震、M7.2
(北海道から近畿で有感、岩手・宮城で浸水)
☆1898年09月01日、石垣島東方で地震、M7.0
(多良間島沖で発生)
☆1899年03月07日、紀伊大和地震、M7.0
(木ノ本、尾鷲で死者7名)
☆1899年11月25日、日向灘で地震、M7.0
(同日、M6.9も)
☆1900年05月12日、宮城県北部で地震、M7.0
(家屋被害大、死傷者17名)
★1900年07月17日、安達太良山噴火
(死者行方不明72名)
〈天候との関連は不明ながら、6月と7月に多いことが分かる。この時期は梅雨であることから、地震も火山噴火も、やはり梅雨の合間(荒天明け)だった可能性が高い〉
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順序は異なるが、三陸沖の巨大地震(明治三陸地震)があり、熊本地震もある。そして日本各地を満遍なく襲っていることが分かる。ならば、残るは内陸型で最大とされる濃尾地震であり、近畿や北陸でも未発である。ことに心配なのは首都直下「明治東京地震」型であろう。
明治東京地震は東京湾北部を震源に発生した大地震だ。当時、12階建てで日本一の高さを誇った凌雲閣が破損するなど、南関東一帯に大きな爪痕を残した。但し、当時の東京湾沿いの多くは漁村であり、人口も希薄な寒村であった。埋め立て地も僅かでしかなかった。
《浅草凌雲閣》
それが今、東京湾は埋め立てられ、我が国有数の工業地帯を生み、屈指の人口密度を誇る住宅地に変貌した。この120年間で湾岸地帯の住人は約50倍に増え300万人を超えた。地盤の大半が液状化の危険に晒されるのだ。明治東京地震では犠牲者31名とはいえ状況がまるで違う。
(東日本大震災で飛び出したマンホール)
あと1年に迫った東京オリンピック。予断を許さない自然災害に経済悪化の危機。想定外の記録的冷夏に未曾有の不況に突入する可能性だって排除出来ない。平和の祭典だけに何事もなく完結すれば何よりだが。
◇◇◇◇◇◇◇
《追記/5月22日》
〈早朝の帯状群雲〉
其々の向きは北北東から南南西。2017年05月16日の雲と良く似ているが、この時は5月22日、北海道東方沖を震源にM5.7の地震があった。果て・・。