〈一部重複〉

 先日(9日)、こんな雲が出ていた。

(奇っ怪な波状雲)

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 指向先は、西南西から東北東、圧縮側から観れば北北西から南南東である

 簾で巻いたような丸みを帯びた雲の表面には見事なまでの縦縞紋様が描かれいる。奇しくも、この翌日には日向灘でM6.3の強い地震があった。福島と山形に跨がる吾妻山では噴火警戒情報が発令された。季節の悪戯か、それとも磁場に起因するのかは不明ながら、何らかの予兆でなければ何よりだが。

 この日向灘は、南海トラフ想定域の西端に位置することから、巨大地震の前触れとしても注目されている。でも実際はどうか。長いスパンでみれば結び付いてはいても短期ではそうでもない。エリア的には遠隔地に及ぶことの方が多い。先ずは下記を見て頂きたい。

◆→日向灘(周辺含む)であった地震
◇→同時期に発生した日本列島の地震

◆1498年07月09日、豊後水道、M7.2
◇1498年09月11日、明応地震、M8.4

◆1662年10月31日、日向灘、M7.6
◇1662年06月16日、寛文地震、M7.6

◆1769年08月29日、豊後水道、M7.8
◇1771年04月24日、八重山地震、M8.7

◆1899年11月25日、日向灘、M7.1
◆1899年11月25日、日向灘、M6.7
◇1901年08月09日、青森東方沖地震、M7.4

◆1909年11月10日、宮崎県西部、M7.3
◇1911年06月15日、喜界島地震、M8.0

◆1923年07月13日、九州南東沖、M7.3
◇1923年09月01日、関東大震災、M7.9

◆1929年05月22日、日向灘、M6.7
◇1930年11月26日、北伊豆地震M7.3

◆1931年11月02日、日向灘、M7.5
◇1933年03月03日、昭和三陸地震、M8.4

◆1939年03月20日、日向灘、M6.7
◇1939年05月01日、男鹿地震、M6.8

◆1941年11月19日、日向灘、M7.9
◇1943年09月10日、鳥取地震、M7.2

◆1961年02月27日、日向灘、M7.5
◇1961年08月09日、北美濃地震、M7.0

◆1968年04月1日、日向灘、M7.5
◇1968年05月16日、十勝沖地震、M8.3

◆1969年04月21日、日向灘、M7.0
◇1969年08月12日、色丹島沖地震、M8.2

◆1970年07月26日、日向灘、M7.0
◇1970年05月27日、小笠原西方地震、M7.1

◆1984年08月7日、日向灘、M6.9
◇1984年09月14日、長野県西部地震、M6.8

◆1987年03月18日、日向灘、M6.7
◇1987年12月17日、千葉県東方沖、M6.7

◆1996年10月19日、日向灘、M6.7
◆1996年12月3日、日向灘、M6.7
◇1997年05月13日、鹿児島北西部、M6.4

◆2019年05月10日、日向灘、M6.3
◇・・・・・・

 このように直接(直後に)南海トラフ型の巨大地震に繋がったの1498年の明応地震くらいなもので、これ以外は遠隔地での発生である。しかも関東以北に多いことにお気付きだろうか。1923年の関東大震災は九州南東沖地震から約2ヶ月後のことだった。

 一度大きな地震が起きると誰しもその周辺を警戒する。しかし前震だった場合を除けば多くは遠隔地に伝播している。西日本が慌ただしかった関東大震災は無論のこと、阪神淡路大震災も東北・北海道に相次ぐ大地震に目を奪われている最中だった。東日本大震災だって変わらない。前年から沖縄近海、小笠原諸島付近にM7クラスの大地震が続いていた。

 日向灘は、まだ分からないとはいえ、南東トラフの警戒域のみならず、関東や東北、北海道といった対極にも目を向けるべきではなかろうか。大きな地震ほど恙無い日和の只中を襲う。五月晴れは安全の証ではない。穏やかは危険の裏返しでもある。くれぐれも御注意を。

 〈天候(気圧)の変わり目は大地震の厄日〉
https://blogs.yahoo.co.jp/rohitigu/36209197.html
 (過去記事より)