東京五輪の選考会への出場資格(MGC=マラソングランドチャンピオンシップ)を兼ねた、名古屋ウィメンズマラソン(女子)と、びわ湖毎日マラソン(男子)が今日行われた。結果は、女子は岩出玲亜(アンダーアーマー)が2時間23分52秒で日本人最高の5位。男子は山本憲二(マツダ)が2時間08分41秒で同じく7位であった。この大会でも数名がMGCへの出場資格を得たものの世界との差は開くばかりだ。

 先ずは、日本記録の変遷を世界と比較して見ていただきたい。

 《世界記録と比較した日本記録の変遷》

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(東京新聞より引用)

 これまで35人が日本記録を達成。第一号は1920年、後藤長一の出した2時間57分01秒だが、その後は下記の通りである。

――中略――

☆1935年、各、3月、4月、11月達成
鈴木房重、日本大学、2.27.49(世界最高)
池永康雄、東洋大学、2.26.44(世界最高)
孫 基禎、養正商高、2.26.42(世界最高)

――中略――

☆1963年、寺沢徹、倉敷レーヨン、2.15.15(世界最高記録)

――中略――

☆1965年、重松森雄、福岡大、2.12.00
(世界最高記録)
☆1967年、佐々木清一郎、九電工、2.11.17
☆1970年、宇佐美彰郎、桜門陸上会、2.10.37
☆1978年、宗 茂、旭化成、2.09.05
☆1983年、瀬古利彦、エスビー食品、2.08.38
☆1985年、中山竹通、ダイエー、2.08.15
☆1986年、児玉泰介、旭化成、2.07.35
☆1999年、犬伏孝行、大塚製薬、2.06.57
☆2000年、藤田敦史、富士通、2.06.51
☆2002年、高岡寿成、カネボウ、2.06.16
☆2018年、設楽悠太、ホンダ、2.06.11
☆2018年、大迫傑、ナイキOP、2.05.50

《参考、マラソン世界ランキング2019》

(01)2:01:39、E・キプチョゲ(ケニア)
(02)2:02:57、D・キメット(ケニア)
(03)2:03:03、K・ベケレ(エチオピア)
(04)2:03:13、E・ムタイ(
(04)2:03:13、W・キプロティチ(ケニア)
(06)2:03:34、K・フィカド(エチオピア)
(07)2:03:38、P・マカウ(ケニア)
(08)2:03:40、N ハーパサ(エチオピア)
(09)2:03:46、G・アドラ(エチオピア)
(10)2:03:51、S・ビウォット(ケニア)
・・・・・
(83)2:05:50、大迫 傑(日本)
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 このように1億円の褒賞金で名を馳せた大迫の日本記録ですら世界ランクは83位でしかない。これは他の(陸上)種目と比較しても(ランク的には)極めて低いレベルにある。高岡寿成(の日本記録)から16年、長きに渡る低迷が世界との差を更に大きくしてしまったようだ。

 一方、同じMGCでもある東京マラソン(2日)は、ビルハヌ・レゲセ(エチオピア)が2.04.48で優勝。日本人トップは2.10.21で堀尾謙介(中大)だった。冒頭の日本記録の変遷と比較して頂きたい。MGCのクリアを高く評価する声もあるが、1970年代の宗茂とあまり変わらないのだ。世界は2時間1分台に突入している。まるで時計が半世紀も遡ってしまったかのようだ。こうした低調な大会には、いつだってお決まりの言い訳が用意されている。

 先ずは暑さで、そして寒さである。しかし今では、それも虚しく聞こえる。1984年のロサンゼルス五輪では、ロペスが30度を超える猛暑の中、2時間10分を切る好タイムで走り、2008年の北京五輪では、大気汚染と40度に迫る苛酷な条件の下で、ワンジルが2時間6分32秒という驚異的なオリンピック新記録で金メダルを獲得。日本人でも高橋尚子は、1998年のバンコク・アジア大会で、気温35度の中、当時の世界最高記録まで約1分に迫る2時間21分47秒の日本最高記録で優勝している。高温とはいえ、冬から春にかけて行われる日本の選考会とは、苛酷さがまるで違う。

 東京マラソンは一桁の気温と氷雨に苛まれたとはいえ、低温が苦手のはずのビルハヌ・レゲセでさえ、ほぼ自己ベストに近いタイムで走っている。暑いからダメ、寒いからダメでは、もう通用しないということだ。

 そして駅伝の弊害への嘆きも然りだ。確かに走り過ぎは良くない。だが、駅伝がなければ日本の長距離走は、どうなっていただろうか。駅伝があるから陸上を始める者も多い。箱根駅伝に憧れて大学に入る。そして実業団に誘われて生活も安定する。最初からマラソン志望では食えない。かつて「頼むからオリンピックだけは目指さないでおくれ!」と母親に泣きつかれたトップアスリートの逸話があるが、走るだけの競技とはいえ、トレーニングや遠征に要する費用だってばかにはならない。親族の家計まで圧迫してしまう。だからこそ、上記通り歴代の有力ランナーも、ほぼ全員が駅伝育ちなのだ。

 陸上競技でも他の種目は、参加標準記録を突破した者に限られるため、日本人が誰一人として出場出来ない種目も数多い。水泳に至っては更に厳しく、参加標準記録を突破して、尚且つ一発勝負の日本選手権で2位以内に入らねばならない。それにひきかえマラソンは甘い。3人の出場枠が有るとはいえ、2時間5分30秒とした派遣設定タイムは、一体、何だったのか。トラックやフィールド競技なら、例外的な国別枠を除き、設定記録に届かなければ選考の対象にすらならない。

 五輪や世界選手権の予選では、あと1秒、あと1センチ足りずに涙を飲んだ者が、これまでにどれだけいたことか。勝ち目のない種目に3人も出場させることに、どんな意味があるのだろうか。なにか釈然としない。この際、参加は(国別枠に従い)一人だけでも十分ではないかと思う。オリンピックは参加することに意義があるとはいえ、これではいつまで経っても強くならない。

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《折り紙》

 〈カメ(く)んの告白/三島由紀夫〉

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「日本代表に相応しいのはオイラでないかい」

「何せ、ラビットより速いんじゃからな」

「ん? これって豚にしか見えんがのう」

「😜・・トンだ失礼!」

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 「花粉お見舞い申し上げます」