まもなく東日本大震災から8年目を迎える。この地震を除けば3月発生の大地震は少ないかと思いきや、そんなことはない。歴史に残る被害地震の多くが、この季節の中を襲っているのだ。

 明治以降に発生した地震を被害の大きな順に並べてみよう。

(1)関東大震災、1923年9月1日、M7.9
(死者行方不明者数、105385人)
(2)東日本大震災、2011年3月11日、M9.0
(死者行方不明者数、22010人)
(3)明治三陸地震、1896年6月15日、M8.2
(死者行方不明者数、21959人)
(4)濃尾地震、1891年10月28日、M8.0
(死者行方不明者数、7273人)
(5)阪神淡路大震災、1995年1月17日、M7.3
(死者行方不明者数、6437人)
(6)福井地震、1948年6月28日、M7.1
(死者行方不明者数、3769人)
(7)昭和三陸地震、1933年3月3日、M8.1
(死者行方不明者数、3064人)
(8)北丹後地震、1927年3月7日、M7.3
(死者行方不明者数、2912人)
(9)三河地震、1945年1月13日、M6.8
(死者行方不明者数、1961人)
(10)昭和南海地震、1946年12月21日、M8.0
(死者行方不明者数、1443人)

 このように被害の大きな地震10件の内、3回は3月に発生しており、因みに、今日3月3日は、1933年に甚大な津波(28.7m)被害を出した昭和三陸地震から数えて86年目でもある。

 昭和三陸地震は三陸海岸から200km以上離れた場所で発生した。東北地方一帯では震度5の強い揺れを観測したものの直接の被害は少なかったとされる。しかし、押し寄せた大津波によって、東北大平洋沿岸に甚大な被害をもたらしている。いわゆるアウターライズ地震である。

 この地震にも前触れがあった。

★1930年2月13日~伊東群発地震、M5.9
★1930年11月26日、北伊豆地震、M7.3
(三島で最大震度6、死者272人)
☆1931年2月20日、日本海北部で地震、M7.2
☆1931年3月9日、三陸沖で地震、M7.2
☆1931年9月21日、西埼玉地震、M6.9
(最大震度5、死者16人)
☆1931年11月2日、日向灘で地震、M7.1
(最大震度5、死者2人)
☆1932年9月23日、日本海北部で地震、M71

 ★印の通り、ここでも伊豆地方の鳴動を手始めに動き出していることが分かる。1923年に関東大震災があったことから余震活動である可能性が高いとはいえ、他の大地震もほぼ似た傾向にあることから“伊豆起点説”も否定出来まい。

 伊豆地方から有感地震が途絶えて久しい。日本列島屈指の多発地帯にあって、これだけ少ないのは珍しいことだ。稀にはあるが、1ヶ月に数回ほどで、それも小さなものばかりだ。群発地震も一時的には発生するものの大事に至らず終息している。

 東日本大震災に至る過程では、2006年頃から伊豆半島東方沖で活発化した。2009年8月には駿河湾を震源とするM6.3の地震が発生し、伊東市では震度6弱を観測している。

 伊豆地方(島嶼部含む)の長きに渡る静けさが、安泰の証か、それとも嵐の前の静けさなのか。ともあれ前者であれば何よりだが・・。