昨夕、発売初日のボジョレーヌーボーを求めて、久しぶりに業界最大手でもあるスーパーIに立ち寄った。恒例の贈答用であるが、いつものところに売り場がない。レジで聞けば「知らない」という。仕方なく酒類コーナーを探したものの、やはり見当たらない。もう一度戻って、チラシを見せたところ、迷惑そうな仕草で、やっと担当者に問い合わせてくれた。

 しばらくして(売り場)責任者らしき人物がやって来た。すると早速に、「スミマセン、スミマセン」の連呼である。それも当方にではない。レジ内にいる非正規(パート)社員だけに頭を下げ続けている。

 その後、売り場を案内されたが、酒類コーナーでもなければ、その近くでもない。生鮮食品コーナーの片隅に無造作に置かれているだけなのだ。しかも価格表示も商品説明もない。これではどれがどれだか分からない。違いを問えば「どれも同じですよ」と答えられてしまう。

 埒が開かない。これだけの種類があって価格も中身も同じなんてことは絶対に有り得ない。それを問うと、今度は「うちは忙しいんだ」の捨て台詞である。

 ここはグッと堪えた。店内は夕方の稼ぎ時だけあって人が多い。一喝したところで、こちらがクレーマーとして悪者扱いになりかねない。何より買い物客に罪はない。不愉快な思いをさせるのもどうかと・・。

 結局は買うのをやめて外へ出たが、あることに気付いた。至る所、求人だらけなのだ。それも貼り紙は日に日に大きくなっている。客の一人や二人どうでもいいのだろう。究極の人手不足にあって、やっと入った非正規(パート)社員を守ることで精一杯なのだ。

 一昔前なら些細な不備でも平身低頭で対応してくれた。腐敗でもしてようものなら自宅まで出向いて謝罪に追われた。ライバルも多く僅かなミスさえ許されなかった時代でもある。それが今では、どこもかしこも面倒くさそうに、現品を交換するだけで済ましている。

 社会主義下の旧ソ連では、「売ってやる」「買わして頂く」が、商売の基本で(今も?)あった。こうした流れに向かうなら従業員に日本人はいらない。

 ならば、社員は全て、外国人(就労)に任せてはどうか。現場や管理職だけではない。勿論、CEOもだ。日本語はいらない。母国語だけで十分。スワヒリ語なら、「お前が悪い」は「ウェウェニ インパヤ」であり、罵られたところで「ウエニイウカラ=上に伝えておきます」にしか聞こえない。この方が、どれだけ嫌みにならず、不愉快な思いをせずに済むことか。でも一体、誰がこんな世の中にしてしまったのだろうか。

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《折り紙》

 (見ザル、聞かザル、反省ザル)

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 「🐒だって反省したのに、最近の客商売は反省しないのう」

 「エッ、話題が古すぎて、このポーズじゃ意味が分からんて・・😩」