今年の流行語のひとつに「孫ブルー」という用語がある。これには「可愛い孫のためなら全てを捧げてくれて当然」とする子供たちの期待と、「孫への精神的、肉体的、金銭的負担に怯える」祖父母世代の葛藤が込められている。

こうした背景にあるのも少子高齢化だ。厚労省の速報値(6月)によると、合計特殊出生率は、また降下して、1.44になってしまった。これは、ひとりっ子世代が多数を占めることを意味する。これらが結婚し、またひとりっ子であるなら、孫ひとりに祖父母4人の関係になるのだ。溺愛も致し方ないといったところか。

一方、団塊の世代はどうか。出生率は、1947年/4.54、1948年/4.40、1949年/4.32、1950年/3 .65、1951年/3.26と続く。だが、これとて突出しているわけではない。1900年/6.25、1910年/5.63、1920年/6.45、1930年/4.70、1940年/4.11と推移していたことからも、1960~70年以降が下がり過ぎたのだ。

長年、日本の社会は子沢山の歴史でもあった。我が家をみても父方7人、母方は5人兄弟である。戦死はいるものの、それぞれには同じく5人以上の子供がいる。貧しかったこともあるが両親の実家に行ったところで小遣いを貰った記憶がない。それ以前に、孫の顔はおろか、名前すら覚えていない。孫も30人近くになれば当然のことか。逆に、帰り際に親父が、汚れた封筒をそっと置いていたことを思い出す。

それが今、祖父母4人に孫ひとりの時代になった。孫の数も二桁は滅多にいない。平均でも3人には届かない。出産から七五三、ランドセルと祖父母の負担が義務化する。運動会に遠足、発表会と出費は絶え間なく続く。正月や夏休みになると面倒をみて尚且つ大枚をはたかねばならない。そして中学、高校、大学進学、成人式に就職と、終着点は限りなく遠い。

仕上げは住まいだ。マイホームの資金援助を求められる。2015年現在、住宅(マンション含む)購入資金の7割は実家からだという。住宅産業の規模(8兆9721億円)からして、約5兆円は親の支払いともいえる。両親世代の最多層は団塊族だ。1947年から51年生まれ合わせて約1150万人なら一人当たり500万円を負担した計算になる。一世帯なら1千万円は下るまい。しかも、完成してビックリ、殆どの住居に両親の部屋はないというから笑い話にもならない。

団塊世代も年金受給の年齢になった。しかしこれも危うい。年金基金の多くは株式で運用される。かつて莫大な損失を出したことからも綱渡りの状態にある。言わば、ギャンブルの負けをギャンブルで返しているようなものだ。現在はミニバブルにあり平均株価も2万2千円と上昇していることから大きな問題はないだろう。だがこの先はどうか。国際情勢は不安定極まりない。2019年問題に加えてポスト五輪も控える。

間もなく(2019年頃を境に)住宅数が世帯数を上回る。需給バランスの崩壊は不動産価格の大暴落を招くだろう。増えるばかりの空き屋は「廃屋通り」から「廃墟の郷」へと格上げされてゆく。国や企業の価値は不動産によるところが大きい。もちろん個人資産であれ同じだ。評価額の損失は生活の場さえ奪いかねない。一夜にして無一文になってしまうのだ。

ポスト五輪の関門も2020年からとは限らない。ブラジルではリオデジャネイロ五輪の1年前から深刻な不況に陥っていた。ならば日本だって他人事ではない。宴の後は寂しいもの。津々浦々まで木枯らしに晒される。深刻な景気低迷に苛まれる冬の嵐だ。税収は激減。株価暴落で社会保障の根幹をなす財源も涸渇。年金は支給されない。医療保険も使えない。財源破綻なら預貯金さえ失ってしまうかも知れない。

こうした流れにも政府の意図が見え隠れする。国は今、莫大な借金を抱える。3月末には1071兆円に達した。一人当たりなら845万円に相当する額である。そこで目をつけたのが中・高年世代だ。家計金融資産1800兆円の内、約半数(900兆円)は、こうした世代に保有される。孫ブルーに相続税の緩和と、保有する金融資産を吐き出させるべく作戦が次々と展開された。

画策する大本営はいい。支出を促される世代は堪ったものではない。基金の破綻で年金は支給されない。介護保険制度も崩壊してしまう。有料施設なら(10年入居で)最低でも1億4千万円は覚悟せねばならない。我が身を悟った頃合には時遅しで預貯金は底を突いてしまっている。65才以上の人口も、あと数年で4千万人に達するが、一体、誰が支えるのだろうか。

溺愛され豊かさを満喫する少子化世代も全体像ではない。その裏では子供の貧困も急増している。高齢者とて例外ではない。単身者が増え続け生活保護も増加の一途だ。年金は支給されない。生活保護も受けられない。不動産に資産価値はない。斎場は数ヵ月待ちが常態化する。死んだところで荼毘に付される保証もない。考えただけでも恐ろしい。

国は、少子高齢化対策は講じるものの、「どう乗り(逃げ)切るか」だけで「如何に改善するか」を全く打ち出さない。それも稚拙なものばかりだ。このままなら近い将来、巷は徘徊老人で溢れ、「最期は自己責任で」となるだろう。危機を察知した若者は早々に逃げ出してしまう。ならば、あと90年どころではない。一世代(約30年)の前倒しで「日本の寿命はあと60年」になっても不思議ではあるまい。