先日亡くなった小林麻央(歌舞伎・市川海老蔵夫人)は最期を自宅で過ごした。そして「自宅に戻れて本当に良かった」と発したことで、この“最期”が大きく取り上げられた。だが、ちょっと待って欲しい。「最期は自宅で」が、財源難を解消すべく医療改革を進める政府の方針としても、本当にこれで良いのだろうか。

確かに、在宅医療や看護(介護)体制が整っていれば、これに越したことはない。現実はどうか。こうした仕組みの恩恵にあずかれるのはごく僅かでしかない。それどころか実態は真逆に進行している。少子高齢化に伴う現実は理想から掛け離れるばかりなのだ。

現在、我が国の65才以上は約3500万人で全体の3割である。この内、単身(生活)者は男性152万人、女性384万人(計536万人)に達し、それも身寄りのない高齢者を急増させている。

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※単身高齢者(536万人)は2017年推計
※下記の予備軍(生涯未婚者)は含まず

生涯未婚率も上昇の一途だ。今や、男性の23.37%、女性の14.06%が生涯独身であり、2030年代後半には3人に1人にまで拡大すると予測される。いずれ、これらの多くが身寄りのない高齢者に加わるのだ。

「最期は自宅で」、とはいえ一体、誰が看るのか。看護師は足りない。介護士も足りない。看護師は150万人から130万人以下へ、介護士は120万人から100万人割れと、瞬く間に大幅減少に転じる。その前に少子化による労働力不足と深刻な財源難にあって現在の医療体制すら維持困難な状況にある。治療終了を理由に「最期は“独り”で」と追い返すつもりだろうか。

周知の通り、病院や介護施設では、入院や入所に際して必ず保証人を義務付けられる。家族がいれば良し。いなければ相応の保証人を設定せねばならない。あくまで金銭保証の人的担保であり、緊急時の身元引き受け人でもある。もし、3人に1人が孤独であるなら、如何なる慈善団体も受けられまい。どんなに資産家であれ保証代行で瞬く間に破産してしまう。

近い将来、全人口の半数近くを高齢者が占め、その3分の1が単身者になる日がやってくる。入院は出来ない。介護も受けられない。運良く叶ったにせよ最期までいられる保証はない。姥捨山(天国)に行きたくとも弱った足腰では辿り着くことさえ出来ない。

今、永田町や霞が関では三親等責任の画策が囁かれる。身寄りはなくとも親族ならいる。両親や祖父母に加えて、叔父、叔母にまで範囲を拡げて介護責任を負うということだ。

近親者というだけで見たことも会ったこともない高齢者があてがわれる。無論、拒否など出来ない。断れば1人当たり10万円単位の違約金を支払わねばならない。仕事を辞めて親族の介護に専念する日々。それも1人や2人ならいい。5人も6人もあてがわれたら堪ったものではない。結果としと共倒れしてしまう。

真偽の程はともかく、いずれ、こうした状況になることだけは確かだ。外国人への門戸開放も一向に進まない。先ずは排除ありきを優先する。かといって真剣に少子化対策に取り組むこともない。このままなら2世代(約60年)後の人口は半減では済むまい。若者は海外に活路を求める。ならば、この国に未来はない。22世紀を待たずに無人の荒野に帰してしまうだろう。