札幌で開催された冬季アジア大会も無事終了した。小平奈緒といったSスケート陣の頑張りもあり、金メダル27個と、当初の目標(20個)を大きく上回った。冬季競技には無縁な国が多いアジアの大会とはいえ、運営に高評価が相次いだことから、まずは成功といったところか。
札幌市が1972年以来、54年ぶりの開催を目指して冬季五輪への立候補を表明している。2020年には東京で夏季五輪もある。その間、僅か6年しかない。文科省も後押しを約束するが、誘致の勝算は、どれくらいあるのだろうか。
冬季五輪はアジアでの開催が続く。2018年が韓国の平昌で2022年は中国の北京だ。2026年が札幌なら3大会連続であり、これまでの大陸間持ち回りからすると大きく逸脱してしまう。しかもアジアには北京との誘致合戦に敗れたアルマトイ(カザフスタン)もある。再立候補に疑う余地はあるまい。
だが朗報もある。朗報が正しい表現か否かはともかく、欧米では五輪招致に反対運動が絶えない。住民投票では反対派が多数を占める。夏季五輪でも招致活動から撤退が相次いでいる。テロや環境破壊への懸念もさることながら、住民の多くは莫大な財政負担を問題視する。五輪よりも、生活の安定、福祉の充実を要求する。
もうひとつの朗報はコンパクトな開催からの脱却であろう。単独では巨額な財政負担を生む。五輪後の施設が負の遺産にもなる。広域での分散開催が、こうした問題を解決する。帯広にはアジア大会でも使われたスピードスケート用の屋内リンクがあり、長野には、ボブスレー、リュージュといった1998年の五輪施設が、あまり使われないままに残る。ある意味、札幌は他の都市より有利な立場にあるともいえよう。
スポーツの振興と競技力向上にとって自国開催の五輪に優るものはない。減り続ける競技人口にも一定の歯止めをかけることができる。施設不足の解消にもなるだろう。何せ、世界に誇るフィギアスケートでさえ、リンク不足から志し半ばで競技を断念する子供達が後を絶たない。
9年後なら、羽生結弦や浅田真央はいないとしても、山本草太は26才、女子でも樋口、本田、白岩、紀平といった世代は24才前後で迎える。アルペンやノルディックとて同じ状況にある。こうした新芽を摘まずに済むということだ。
日本社会は、この先、一段と厳しさを増すだろう。経済も人口も縮むばかりだ。中でも北海道は深刻の度合いが違う。日銀短観でも、地域別の経済指標は、いつだって後塵を拝する。こうした北海道にあっても札幌だけは別格で高い吸引力を武器に北の大地を支えてきた。その札幌にも人口減少の影が忍び寄る。
札幌市は、人口1.934.675人(2015年3月31日現在/国勢調査)で、我が国5番目の大都会である。1970年代初めに100万人を超えて以降、増加率は日本の大都市の中でも群を抜いていた。瞬く間に200万人に迫った。だが少子化と疲弊する経済によって状況は一変しつつある。
流入の主役だった離炭者はいない。離農による転入も今では数少ない。何より、少子高齢化とネット社会が、拠点都市としての立場を薄めた。間もなく札幌の人口動態も社会減に転じる。人口減少の渦に巻き込まれる。このままでは激減する道内人口と共に存亡の危機に直面しかねない。五輪は千載一遇のチャンスなのだ。
ライバルはアルマトイが、それとも欧州や米国の都市になるのか。いや、それだけでない。環境破壊の不安も残る。財政負担や福祉を優先せよといった問題も議論されるだろう。だが最後は札幌市民が決める。いずれにせよ住民投票に持ち込まれるはずだ。果たして札幌市民は、どちらを選択するだろうか。
札幌市が1972年以来、54年ぶりの開催を目指して冬季五輪への立候補を表明している。2020年には東京で夏季五輪もある。その間、僅か6年しかない。文科省も後押しを約束するが、誘致の勝算は、どれくらいあるのだろうか。
冬季五輪はアジアでの開催が続く。2018年が韓国の平昌で2022年は中国の北京だ。2026年が札幌なら3大会連続であり、これまでの大陸間持ち回りからすると大きく逸脱してしまう。しかもアジアには北京との誘致合戦に敗れたアルマトイ(カザフスタン)もある。再立候補に疑う余地はあるまい。
だが朗報もある。朗報が正しい表現か否かはともかく、欧米では五輪招致に反対運動が絶えない。住民投票では反対派が多数を占める。夏季五輪でも招致活動から撤退が相次いでいる。テロや環境破壊への懸念もさることながら、住民の多くは莫大な財政負担を問題視する。五輪よりも、生活の安定、福祉の充実を要求する。
もうひとつの朗報はコンパクトな開催からの脱却であろう。単独では巨額な財政負担を生む。五輪後の施設が負の遺産にもなる。広域での分散開催が、こうした問題を解決する。帯広にはアジア大会でも使われたスピードスケート用の屋内リンクがあり、長野には、ボブスレー、リュージュといった1998年の五輪施設が、あまり使われないままに残る。ある意味、札幌は他の都市より有利な立場にあるともいえよう。
スポーツの振興と競技力向上にとって自国開催の五輪に優るものはない。減り続ける競技人口にも一定の歯止めをかけることができる。施設不足の解消にもなるだろう。何せ、世界に誇るフィギアスケートでさえ、リンク不足から志し半ばで競技を断念する子供達が後を絶たない。
9年後なら、羽生結弦や浅田真央はいないとしても、山本草太は26才、女子でも樋口、本田、白岩、紀平といった世代は24才前後で迎える。アルペンやノルディックとて同じ状況にある。こうした新芽を摘まずに済むということだ。
日本社会は、この先、一段と厳しさを増すだろう。経済も人口も縮むばかりだ。中でも北海道は深刻の度合いが違う。日銀短観でも、地域別の経済指標は、いつだって後塵を拝する。こうした北海道にあっても札幌だけは別格で高い吸引力を武器に北の大地を支えてきた。その札幌にも人口減少の影が忍び寄る。
札幌市は、人口1.934.675人(2015年3月31日現在/国勢調査)で、我が国5番目の大都会である。1970年代初めに100万人を超えて以降、増加率は日本の大都市の中でも群を抜いていた。瞬く間に200万人に迫った。だが少子化と疲弊する経済によって状況は一変しつつある。
流入の主役だった離炭者はいない。離農による転入も今では数少ない。何より、少子高齢化とネット社会が、拠点都市としての立場を薄めた。間もなく札幌の人口動態も社会減に転じる。人口減少の渦に巻き込まれる。このままでは激減する道内人口と共に存亡の危機に直面しかねない。五輪は千載一遇のチャンスなのだ。
ライバルはアルマトイが、それとも欧州や米国の都市になるのか。いや、それだけでない。環境破壊の不安も残る。財政負担や福祉を優先せよといった問題も議論されるだろう。だが最後は札幌市民が決める。いずれにせよ住民投票に持ち込まれるはずだ。果たして札幌市民は、どちらを選択するだろうか。