今から122年前(1894年06月20日14時04分)の出来事だが、M7.0の大地震が首都圏を直撃した。恐らく、東京湾を震源とする大地震では、有史以来でも稀ではなかろうか。

影響は東京から横浜一帯に及び、死者31名、家屋損壊130棟のほか、当時としては随一の高層ビルで12階建ての浅草凌雲閣の一部が崩壊するといった被害がでた。

この地震では、樋口一葉が「水の上日記」で、谷崎潤一郎が「幼少時代」で記しているが、隅田川や荒川、それに埼玉県の元荒川周辺に液状化現象が発生していたようだ。

被害が意外に小さく済んだのには理由がある。震源は東京湾北部と位置的には最悪だったものの、深さ40から80kmでの発生が幸いしたのだろう。しかも当時の東京は今日ほどの大都会ではなく、ことに湾岸地帯は寒村であり、人口も希薄な田舎だった。

1894年、東京の人口は1.829.583人で現在の札幌より少なく、総人口(42.430.985人)に対する比率も約4%でしかなかった。それが今、東京湾岸は次々と開発され、京浜から京葉地区の臨海部には300万人以上が居住する。

もし同じ地震が起きたならどうなるだろうか。海岸線は埋め立てられ、この上だけでも当時の東京の人口を上回る大勢の人々が住んでいるのだ。東日本大震災では、これらの地域が液状化して深刻な被害を引き起こした。下町の住宅密集地帯も心配だが、これらも収拾はつくまい。

東京湾には巨大地震の巣がある。5月6日にも記したように、東京湾では1989年にサイレント(ゆっくり)地震が起きていた。これは大地震の予兆とされ東日本大震災の数年前にも見られた現象といわれる。相当前のこととはいえ地殻変動の歳月からすれば27年など無いに等しい。

国の有識者会議によると、M7クラスの首都直下型地震の発生確率は30年以内で70%とし、死者2万3千人、経済的損失は95兆円と見込んでいる。だが、これも多くは内陸が前提であり、どれだけ東京湾内での発生を想定しているだろうか。もし、明治東京地震が地下浅くで再来するなら、被害規模は計り知れない。

869年、三陸沖に発生した貞観地震は、M8.7に達する巨大地震で東日本一帯に甚大な被害を及ぼした。その9年後(878年)には、M7.4の相模武蔵地震が関東地方を襲い、死者多数の被害が記録されている。

貞観地震を2011年の東日本大震災と仮定するなら9年後は2020年だ。そう、東京オリンピックの年でもある。あくまで過去との比較であって整合性には乏しいものの、これまでの経緯には類似点も多く、なにやら嫌な予感がする。ディズニーランドがディープシー(深海)ランドに改名しないことを願いたい。