厚労省によると、平成27年の出生率は1.46であり、1.50だった平成6年以来21年ぶりの水準になったと発表した。理由は景気回復に伴う雇用情勢の改善、子供を産もうとした人が増えたとあるが、なにかおかしい。

確かに出生数は2117人増えて100万5656人で辛うじて大台は保ったものの、死亡数は129万428人と戦後最多であり、死亡数から出生数を引いた自然減も28万4772人と、こちらも過去最多である。

アベノミクスによる景気回復と少子化対策が功を奏したと言いたいのだろが、それは違う。今年はまだ第二次ベビーブームの挽期にある。出生数も、1973年の209万1983人をピークに1980年までは150万人台を維持していた。最近では40前後での初産も珍しくない。何より、この世代の駆け込み出産によるところが大きい。

今や、第一子の平均出産年齢は30.7歳まで上昇している。晩婚化は、この先も平均(出産)年齢を上げ続けるだろう。昨年の平均初婚年齢は男性が31.1歳、女性が29.4歳だが、この20年だけで約3歳も上がっている。

現在、31歳の男性が75万人、29歳の女性が71万人と合わせて約146万人が存在するが、25歳になると約130万人にまで縮小する。しかも加速度的な減少傾向にあり、2、3年後の出生数は100万人割れ必至の状況にある。

この先、晩婚化は更に進み、非婚率も一段と上がるだろう。これで、どうして「出生率に改善の兆し」などと言えようか。加えて若年層を中心に貧困層も増え続ける。改善の要素など何ひとつないということだ。

国の試算では(合計特殊)出生率1.80で一億人維持を目論むが、これもおかしい。1.80は縮小均衡でしかない。現在、各々に250万人近い人口を抱える団塊の世代も不老不死ではない。恐らく20年前後で同等数の欠落が始まるだろう。

一方、出生数はどうか。このまま減衰するなら一世代で半減する。例え1.80まで回復したにせよ、それまでのタイムラグは埋めようがなく、二世代も待たずに半減する。ならば近未来の出生数はMAX(25万×1.80)でも45万人にしかならない。250万人世代の消失と重なるなら、この期間だけで2千万人以上減らすことになる。

その後は、この45万人が人口ピラミッドの底辺となる。これで人口置換水準が(2.07で)安定し全員が百歳まで生きたと仮定しても総人口は4500万人にしかならない。1.80は一世代ごとの1割減を意味する。2.07を超えない限り絶り永遠に減り続ける。1.50以下で推移するなら日本の未来に25世紀は存在しない。

窮余の策として移民容認の是非が議論されるが手遅れ感は否めない。最早日本は先進国ではない。所得水準たるや、アジア諸国にも次々と抜かれ、しかも後退の一途だ。誰が母国の明るい未来を棄ててまで、こんな貧しい国に来るだろうか。移民で人口維持を目論む前に日本人の海外移住者続出で内部崩壊さえ招きかねない。

この先、財政破綻が現実味を帯びる。南海地震や首都直下地震にでも遭遇すれば更に早まる。医療費は全額自己負担となり年金や失業保険は支給されない。預貯金は保証されず、その前に勤務先を失えば家屋は抵当に没収され、無一文のホームレス生活だけが待ち受ける。

では、もう再興は無理なのか。唯一、方法がある。貧困の極みに達することだ。それも少数派では意味がない。国民総貧困化である。人は貧しさの中で本能に目覚める。世界の極貧国のみならず、かつての日本も出生率は高かった。

トゥマス理論は、停電など「通常の生活が遮断されるような不測の事態が続くと必然的に出生率が上がる」、とする説だが、これと同じで、貧困下では遊興思考が削除され、生物本来の本能だけが覚醒するといった具合だ。

但し、これは禁句であり禁じ手でもある。それが今、永田町や霞ヶ関の中には、これが自然の摂理であり人口維持には最適と信じる者も少なからずいる。もしや政府も内心は同じではないか。昭和初期の極貧生活だけならまだしも、あの忌まわしい歴史だけは呼び覚まさないで欲しいものだが‥。