熊本地震の余波が収まらない。一連の流れは慶長年間の鳴動と酷似している。短期間に中央構造線断層帯を駆け抜けた複数の大地震のことだが、もうひとつある。
日本には歴史上有数の巨大地震が幾つか発生しているが、とりわけ代表的なものとしては、数年間に相次いだ元禄地震と宝永地震であろう。このトラフ型巨大地震にも九州の地震が関わっているのだ。
この二つの期間を比較してみよう。
☆1596年‥‥‥‥
09月01日、慶長伊予地震、M7.0
四国内、中央構造線断層帯
09月04日、豊後(大分)地震、M7.8
別府ー万年山断層帯、犠牲者780人
09月05日、慶長伏見地震、M7.5
京都で被害甚大、犠牲者1000人以上
★1703年以降‥‥‥‥
1703年12月31日、元禄地震、M8.2
関東地方で津波被害甚大
1703年12月31日、豊後地震、M6.5
元禄地震と連動、府内領で被害大
1704年05月27日、陸奥地震、M7.0
十二湖誕生、犠牲者58名
1705年05月24日、安蘇山地震、M不明
安蘇坊で被害大
1707年10月28日、宝永地震、M9.0前後
歴史上有数のの巨大地震、49日後に富士山噴火
‥‥‥‥‥‥‥‥
慶長の地震は短期型で、伊予(愛媛)の地震から3日で豊後(大分)に、その翌日には伏見に達し、京都に甚大な被害を与えた。
元禄地震と宝永地震の場合は数年に渡るが、その合間に、陸奥を挟み、豊後、安蘇山と九州で大地震が相次いで発生していた。
慶長地震では、京都の大被災のみならず、伏見城、東寺、天龍寺、二尊院、大覚寺が倒壊するなど、自社仏閣にも壊滅的な被害が及んだ。
元禄地震では、鸚鵡籠中で犠牲者20万人説があるように、被害の大きさから社会不安著しく、鎮静化を計るべく元号を元禄から宝永に改元したほどだった。
宝永地震では、家屋の倒壊に加え、関東から九州までの太平洋岸を大津波が襲い、2万人以上の犠牲者が出たと言われる。富士山(宝永)の大噴火は、この地震から49日目のことである。
では現在は、どちらに近いだろうか。状況は慶長地震に似るが、この前後に巨大地震の発生はない。今は東日本大震災による余波の渦中にある。ならば、慶長よりも、元禄・宝永地震に近いのではないか。
後者なら、東日本大震災に始まり、九州から、〇〇へと続き、東・南海地震で終息に向かうシナリオが成り立つ。ただ、この場合は短い期間ではない。一定の年月を要する。
今回も一連の流れが収まった後が怖い。人は忘れる。ほんの数ヵ月で記憶の片隅からも追い出してしまうだろう。
昨年末から年始にかけて(12月24日、1月2日に記載通り)全国各地から自然界の異変が数多く報告されていた。真冬にセミの羽化があり、満開になったヒマワリ、最速で出た土筆(つくし)等々である。
思い出して頂きたい。セミの羽化は九州だったはずだ。真冬にセミなんて聞いたことない。ヒマワリは山梨だった。つくしは確か東京だったかと思う。
この冬、こうした(有り得ない)異変は枚挙にいとまがないが、特定の地域に集中するのは何故だろう。そう、九州(安蘇山周辺)、山梨から伊豆箱根(富士山周辺)、関東(首都直下)にかけて特に多いのだ。
元禄、宝永型なら、東・南海で巨大地震が連動する可能性が高い。前後して随所で直下地震が頻発する。火山活動も活発化する。
だが危険なのは地震や火山噴火だけではない。地殻変動も大きくなるほど一定のスパンを要する。今回の鳴動も数ヵ月も経てば多くの人心から消去されてしまうだろう。そう、最も危ないのは、この数ヵ月から先の“忘れた頃合い”ということだ。
日本には歴史上有数の巨大地震が幾つか発生しているが、とりわけ代表的なものとしては、数年間に相次いだ元禄地震と宝永地震であろう。このトラフ型巨大地震にも九州の地震が関わっているのだ。
この二つの期間を比較してみよう。
☆1596年‥‥‥‥
09月01日、慶長伊予地震、M7.0
四国内、中央構造線断層帯
09月04日、豊後(大分)地震、M7.8
別府ー万年山断層帯、犠牲者780人
09月05日、慶長伏見地震、M7.5
京都で被害甚大、犠牲者1000人以上
★1703年以降‥‥‥‥
1703年12月31日、元禄地震、M8.2
関東地方で津波被害甚大
1703年12月31日、豊後地震、M6.5
元禄地震と連動、府内領で被害大
1704年05月27日、陸奥地震、M7.0
十二湖誕生、犠牲者58名
1705年05月24日、安蘇山地震、M不明
安蘇坊で被害大
1707年10月28日、宝永地震、M9.0前後
歴史上有数のの巨大地震、49日後に富士山噴火
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慶長の地震は短期型で、伊予(愛媛)の地震から3日で豊後(大分)に、その翌日には伏見に達し、京都に甚大な被害を与えた。
元禄地震と宝永地震の場合は数年に渡るが、その合間に、陸奥を挟み、豊後、安蘇山と九州で大地震が相次いで発生していた。
慶長地震では、京都の大被災のみならず、伏見城、東寺、天龍寺、二尊院、大覚寺が倒壊するなど、自社仏閣にも壊滅的な被害が及んだ。
元禄地震では、鸚鵡籠中で犠牲者20万人説があるように、被害の大きさから社会不安著しく、鎮静化を計るべく元号を元禄から宝永に改元したほどだった。
宝永地震では、家屋の倒壊に加え、関東から九州までの太平洋岸を大津波が襲い、2万人以上の犠牲者が出たと言われる。富士山(宝永)の大噴火は、この地震から49日目のことである。
では現在は、どちらに近いだろうか。状況は慶長地震に似るが、この前後に巨大地震の発生はない。今は東日本大震災による余波の渦中にある。ならば、慶長よりも、元禄・宝永地震に近いのではないか。
後者なら、東日本大震災に始まり、九州から、〇〇へと続き、東・南海地震で終息に向かうシナリオが成り立つ。ただ、この場合は短い期間ではない。一定の年月を要する。
今回も一連の流れが収まった後が怖い。人は忘れる。ほんの数ヵ月で記憶の片隅からも追い出してしまうだろう。
昨年末から年始にかけて(12月24日、1月2日に記載通り)全国各地から自然界の異変が数多く報告されていた。真冬にセミの羽化があり、満開になったヒマワリ、最速で出た土筆(つくし)等々である。
思い出して頂きたい。セミの羽化は九州だったはずだ。真冬にセミなんて聞いたことない。ヒマワリは山梨だった。つくしは確か東京だったかと思う。
この冬、こうした(有り得ない)異変は枚挙にいとまがないが、特定の地域に集中するのは何故だろう。そう、九州(安蘇山周辺)、山梨から伊豆箱根(富士山周辺)、関東(首都直下)にかけて特に多いのだ。
元禄、宝永型なら、東・南海で巨大地震が連動する可能性が高い。前後して随所で直下地震が頻発する。火山活動も活発化する。
だが危険なのは地震や火山噴火だけではない。地殻変動も大きくなるほど一定のスパンを要する。今回の鳴動も数ヵ月も経てば多くの人心から消去されてしまうだろう。そう、最も危ないのは、この数ヵ月から先の“忘れた頃合い”ということだ。