子供の頃、祖父母や両親から、よくこんな話を聞かされたのではないだろうか。
「昔は、そりゃー大変だった。戦時中は食べるものなんかありゃしない。終戦になっても、お金がないから満足に学校にも行けない。中学出たら汗水流して働いて仕送りしたもんだ。それに引き換え今の若いもんは‥」
それが時を超え再び現実になった。
地方紙(西日本新聞)によると、九州のある小学校では、生徒が下の子を背負って登校しているという。これは、あのTVドラマ“おしん”そのものではないか。母子家庭で生活は貧しい。僅かな学費や給食費さえ払えない。それも一人ではない。どこの学校でも、こうした子供は増えるばかりだそうで、世は正に明治から昭和20年代にかけての再来である。
街を歩けばリサイクルショップが目につく。家具に家電、衣類に書籍と、なんでもある。バブル期までは中古車に古本ぐらいなもので、見栄張り族が席巻する世相にあって、ほとんどは見向きもされなかった。それが見事に様変りしている。
モッタイナイ文化の醸成には、この上ないことだ。無駄の排除と廃棄物の軽減にも繋がる。だが内実は全く違う。貧困の結果に他ならない。
中国人の爆買いが話題になるが日本人にだってまだいる。中高年世代のことだ。なにせ高度成長とバブル期の悪霊に取り付かれている。買い放題、棄て放題の堕落社会を謳歌して、本当の貧困を知らない。だから、リサイクル品を買い求める若者をよそに、高級ブランド品の、バカ(失礼)爆買いを継続する。経済への多大な貢献は否めないとしても、なにか釈然としない。
現在、大学生の4割が奨学金に頼るという。即ち、多額の借金を抱えたまま社会人になることでもある。後々の貸し倒れが問題になるが、団塊以降の中高年世代に、どれだけ奨学金で大学に行った者がいるだろうか。大多数は親からの仕送りであり、アルバイトも、かなりの頻度で遊興費だったのではないか。奨学金とアルバイトで就学する近年の若者とは大きく乖離してしまっているのだ。
団塊や高度成長世代も苦難の時代に変わりはない。だが、物心付いた頃には電話が普及し、そしてメールになった。だから多くは手紙など書いた覚えはないのではないか。まめにラブレターでも書いていたならともかく、大半は自筆の手紙さえ出した記憶がないのではないか。最近の小学生は手書きに回帰している。だから「今の大人は漢字を知らない」と嘆くそうだが、愚生を筆頭に、あながち外れてはいない。
この社会は加速度的に逆行する。日々貧しくなる。だが悪いことばかりではない。かつての日本も貧しさから這い上がった。いや、貧しいから発展した、といっても過言ではない。快楽は堕落しか生まないが、貧しさからは向上心が芽生える。人の優しさを知り温もりも覚える。先人がそうであったように、貧困も天の恵みであり、この国を蘇生する上では格好の活力源かも知れない。
「昔は、そりゃー大変だった。戦時中は食べるものなんかありゃしない。終戦になっても、お金がないから満足に学校にも行けない。中学出たら汗水流して働いて仕送りしたもんだ。それに引き換え今の若いもんは‥」
それが時を超え再び現実になった。
地方紙(西日本新聞)によると、九州のある小学校では、生徒が下の子を背負って登校しているという。これは、あのTVドラマ“おしん”そのものではないか。母子家庭で生活は貧しい。僅かな学費や給食費さえ払えない。それも一人ではない。どこの学校でも、こうした子供は増えるばかりだそうで、世は正に明治から昭和20年代にかけての再来である。
街を歩けばリサイクルショップが目につく。家具に家電、衣類に書籍と、なんでもある。バブル期までは中古車に古本ぐらいなもので、見栄張り族が席巻する世相にあって、ほとんどは見向きもされなかった。それが見事に様変りしている。
モッタイナイ文化の醸成には、この上ないことだ。無駄の排除と廃棄物の軽減にも繋がる。だが内実は全く違う。貧困の結果に他ならない。
中国人の爆買いが話題になるが日本人にだってまだいる。中高年世代のことだ。なにせ高度成長とバブル期の悪霊に取り付かれている。買い放題、棄て放題の堕落社会を謳歌して、本当の貧困を知らない。だから、リサイクル品を買い求める若者をよそに、高級ブランド品の、バカ(失礼)爆買いを継続する。経済への多大な貢献は否めないとしても、なにか釈然としない。
現在、大学生の4割が奨学金に頼るという。即ち、多額の借金を抱えたまま社会人になることでもある。後々の貸し倒れが問題になるが、団塊以降の中高年世代に、どれだけ奨学金で大学に行った者がいるだろうか。大多数は親からの仕送りであり、アルバイトも、かなりの頻度で遊興費だったのではないか。奨学金とアルバイトで就学する近年の若者とは大きく乖離してしまっているのだ。
団塊や高度成長世代も苦難の時代に変わりはない。だが、物心付いた頃には電話が普及し、そしてメールになった。だから多くは手紙など書いた覚えはないのではないか。まめにラブレターでも書いていたならともかく、大半は自筆の手紙さえ出した記憶がないのではないか。最近の小学生は手書きに回帰している。だから「今の大人は漢字を知らない」と嘆くそうだが、愚生を筆頭に、あながち外れてはいない。
この社会は加速度的に逆行する。日々貧しくなる。だが悪いことばかりではない。かつての日本も貧しさから這い上がった。いや、貧しいから発展した、といっても過言ではない。快楽は堕落しか生まないが、貧しさからは向上心が芽生える。人の優しさを知り温もりも覚える。先人がそうであったように、貧困も天の恵みであり、この国を蘇生する上では格好の活力源かも知れない。