1位、長野県、2位、山梨県、3位島根県、4位、静岡県、5位、岡山県
これは、地方移住に関する情報を提供する「ふるさと暮らし情報センター」を訪れた人のアンケートによる結果である。近年は、上位2県が競っており、長野県が前年の2位から2年ぶりにトップに返り咲いたことになる。
両県とも首都圏に隣接し、当然といえば当然だが、島根県の健闘が際立つ。遠隔地でありながら、飯南町や海士町といった町おこしのモデルともいえる、先駆的な自治体を抱えるのが人気の要因だろうか。
長野県は言うまでもない。医療や教育環境に恵まれる。生活習慣病対策にも熱心で健康への関心も高い。だがら平均寿命も高く、男性は80.88歳、女性は87.18歳と、ともに日本一に君臨する。何より、日本のスイスといわれるだけあって、自然豊かだ。理想郷とされて然るべきか。
だが実際は喜べない。ゆとりも、やがて限界を迎える。日本全体の衰退は止まない。現状は減り続ける人口の椅子取りゲームに過ぎない。最後には一人になる。そして滅びる。悲しい未来だけが待ち受ける。
国は地方移住を促進し、地方は、それに期待する。結果、流出で衰退を早め、受け入れ側も何れ消滅する。こう言うと必ず、「都市部からの移住であり、一極集中の是正でも、この上ない政策ではないか」と反論されるが、そうだろうか。
確かに首都一極集中は突出している。東京の人口は13.294.039人だが、昨年だけで71.279人も増えている。総人口が減り始めた中、一人勝ちの様相でもある。しかし長くは続かない。この大都会にも暗い影が漂い始める。
東京が一人勝ちとはいえ一時ほどではない。昭和33年には一年間に342.883人も増えた。昭和30年代には平均でさえ30万人を超えた。それが今、伸び率では1%にも満たない。これは停滞に等しい。全体の衰退で目立つだけなのだ。
最近、話題の用語に、CCRCなるものがある。高齢者の地方移住計画のことだが、これなど愚策の最たるものではないか。そもそも、これは米国の発想であって、(少子)高齢化対策ではない。しかも米国は人口バランスの上でも健全な社会であり、合計特殊出生率も2.09で、なんの問題もない。あくまで地方財政の不均衡を考慮した政策であり、置かれた状況は、我が国とはまるで違う。
地方移住といえば聞こえはいい。バラ色の未来を思い浮かべる。だが、それはない。受け入れの目的は『人』ではなく『金』にある。あくまで期待は富裕層であり、その保有資産の移住地への還元である。だから貧困層は歓迎しない。後見人のいない単身者も歓迎されない。一定の預貯金も、怪我や病気、想定外の長生きで使い果たしてしまえば、あとは厄介者でしかないからだ。
流出側も難題が山積する。大都会ほど貧困層を抱える。単身者も圧倒的に多い。日本一豊かな東京も、勤労者の4割は非正規であり、年収たるや200万円にも満たない。しかも大半は単身者だ。近い将来、富裕層が流出するなら、これら貧困層だけが取り残される。その数、約280万人である。これで、どうして首都が維持出来ようか。
東京でも、2020年のオリンピック以降、人口の減少が始まる。そして加速する。スラム街が増殖し、代表的な繁華街も、シャッター通りに変身することだろう。
地方はどうか。受け入れ拡大も繁栄は長く続かない。地方には医療や介護に、まだ余裕があるというが、認識不足も甚だしい。あっても今だけだ。地方だって高齢者は増え続ける。医療や介護分野の従事者は不足を極める。移住が加わるなら医療や介護システムの崩壊は免れない。
CCRCの基本計画には、高齢者の地方移住で若い介護士の移住も促される、とあるが、これもおかしい。現在120万人の介護職員も100万人割れ必至の状況にある。人口急減にあって地方で介護士を目指す若者が増える道理は何一つない。全職種で労力が不足する中では尚更だ。
川崎市の介護付き有料老人ホームで悲惨な事件が起きた。犯人は転落死させた動機を、低賃金での過重労働によるストレス、と供述しているらしい。言語道断にせよ非難してる場合ではない。介護業界の人手不足は日増しに厳しさを増す。高齢者が移住を好む地域ほど深刻になる。引く手あまたの状況に不審な輩が入り込む下地は十分にある。他人事ではない。いずれ、我が身にも、ということだ。
地方移住も良いが、安易な決断は、それこそ命取りになる。オレオレ詐欺は預貯金だが、CCRCは全財産を失いかねない。
移住するなら故郷に帰ろう。生まれ育った故郷が全てを受け入れてくれる。孤立することも少ない。路頭に迷うこともない。なんとかなるものだ。
これは、地方移住に関する情報を提供する「ふるさと暮らし情報センター」を訪れた人のアンケートによる結果である。近年は、上位2県が競っており、長野県が前年の2位から2年ぶりにトップに返り咲いたことになる。
両県とも首都圏に隣接し、当然といえば当然だが、島根県の健闘が際立つ。遠隔地でありながら、飯南町や海士町といった町おこしのモデルともいえる、先駆的な自治体を抱えるのが人気の要因だろうか。
長野県は言うまでもない。医療や教育環境に恵まれる。生活習慣病対策にも熱心で健康への関心も高い。だがら平均寿命も高く、男性は80.88歳、女性は87.18歳と、ともに日本一に君臨する。何より、日本のスイスといわれるだけあって、自然豊かだ。理想郷とされて然るべきか。
だが実際は喜べない。ゆとりも、やがて限界を迎える。日本全体の衰退は止まない。現状は減り続ける人口の椅子取りゲームに過ぎない。最後には一人になる。そして滅びる。悲しい未来だけが待ち受ける。
国は地方移住を促進し、地方は、それに期待する。結果、流出で衰退を早め、受け入れ側も何れ消滅する。こう言うと必ず、「都市部からの移住であり、一極集中の是正でも、この上ない政策ではないか」と反論されるが、そうだろうか。
確かに首都一極集中は突出している。東京の人口は13.294.039人だが、昨年だけで71.279人も増えている。総人口が減り始めた中、一人勝ちの様相でもある。しかし長くは続かない。この大都会にも暗い影が漂い始める。
東京が一人勝ちとはいえ一時ほどではない。昭和33年には一年間に342.883人も増えた。昭和30年代には平均でさえ30万人を超えた。それが今、伸び率では1%にも満たない。これは停滞に等しい。全体の衰退で目立つだけなのだ。
最近、話題の用語に、CCRCなるものがある。高齢者の地方移住計画のことだが、これなど愚策の最たるものではないか。そもそも、これは米国の発想であって、(少子)高齢化対策ではない。しかも米国は人口バランスの上でも健全な社会であり、合計特殊出生率も2.09で、なんの問題もない。あくまで地方財政の不均衡を考慮した政策であり、置かれた状況は、我が国とはまるで違う。
地方移住といえば聞こえはいい。バラ色の未来を思い浮かべる。だが、それはない。受け入れの目的は『人』ではなく『金』にある。あくまで期待は富裕層であり、その保有資産の移住地への還元である。だから貧困層は歓迎しない。後見人のいない単身者も歓迎されない。一定の預貯金も、怪我や病気、想定外の長生きで使い果たしてしまえば、あとは厄介者でしかないからだ。
流出側も難題が山積する。大都会ほど貧困層を抱える。単身者も圧倒的に多い。日本一豊かな東京も、勤労者の4割は非正規であり、年収たるや200万円にも満たない。しかも大半は単身者だ。近い将来、富裕層が流出するなら、これら貧困層だけが取り残される。その数、約280万人である。これで、どうして首都が維持出来ようか。
東京でも、2020年のオリンピック以降、人口の減少が始まる。そして加速する。スラム街が増殖し、代表的な繁華街も、シャッター通りに変身することだろう。
地方はどうか。受け入れ拡大も繁栄は長く続かない。地方には医療や介護に、まだ余裕があるというが、認識不足も甚だしい。あっても今だけだ。地方だって高齢者は増え続ける。医療や介護分野の従事者は不足を極める。移住が加わるなら医療や介護システムの崩壊は免れない。
CCRCの基本計画には、高齢者の地方移住で若い介護士の移住も促される、とあるが、これもおかしい。現在120万人の介護職員も100万人割れ必至の状況にある。人口急減にあって地方で介護士を目指す若者が増える道理は何一つない。全職種で労力が不足する中では尚更だ。
川崎市の介護付き有料老人ホームで悲惨な事件が起きた。犯人は転落死させた動機を、低賃金での過重労働によるストレス、と供述しているらしい。言語道断にせよ非難してる場合ではない。介護業界の人手不足は日増しに厳しさを増す。高齢者が移住を好む地域ほど深刻になる。引く手あまたの状況に不審な輩が入り込む下地は十分にある。他人事ではない。いずれ、我が身にも、ということだ。
地方移住も良いが、安易な決断は、それこそ命取りになる。オレオレ詐欺は預貯金だが、CCRCは全財産を失いかねない。
移住するなら故郷に帰ろう。生まれ育った故郷が全てを受け入れてくれる。孤立することも少ない。路頭に迷うこともない。なんとかなるものだ。