近い将来、多くの自治体が消滅の危機に直面する。既に2割が、その領域に入り、団塊世代が欠落する30年後には過半数の自治体にも及ぶ。このままでは、いずれ日本列島は極東に浮かぶ廃墟の孤島になってしまう。SFではない。子供達の存命中、22世紀の初頭にも有り得るのだ。

今、消滅を回避すべく様々な対策を講じつつはあるが、果たして効果は、どれだけあるだろうか。病は発見が早いほど治癒するもの。だが実態は末期に等しい。機を逸した感は否めない。

政府は地方創生を謳い、子育てのし易い環境の醸成を唱えるが、どこか矛盾している。創生とはいえ人手が足りない。高齢者ばかりでは何も出来ない。奥の手は都市部からの移住だが都会であれ衰退の危機が忍び寄る。

既述の通り、東京も十数年後には人口減少の仲間入りをする。ある意味、地方の限界集落より深刻かも知れない。一時の桃源郷に惑わされて気付いてないだけだ。何せ、非正規労働者が多い。単身者も突出して多い。無論、母子(父子)家庭も多い。これらの共通項は貧困である。所得日本一に覆い隠されているが、こうした負の部分も日本一なのだ。

首都も弱体化する。政府の地方移住策に従い富裕な高齢者は東京を離れる。若者も、キャリアとスキルを積んだ者ほど地方志向を強める。反面、大都会では生活保護受給対象の高齢者が増える一方だが、過疎化にあえぎ如何に人口減少を食い止めようかと躍起になっている自治体であれ、こうした層だけは絶対に受け入れない。

結果、老若男女を問わず貧困層だけが取り残される。溶け始めた氷の破砕は解氷を早めるのと同様、総人口の減少下での奪い合いは、それだけ国の崩壊をも早めると言うことだ。

子育てし易い環境も不可解さでは同じだ。保育士の確保や待機児童の解消、支援金の拡充などを上げるが、どれも当然のことで、これまでが無策だったに過ぎない。子育てには費用を要する。保育費が軽減したにせよ、子供の誕生で生活費が加算されることに変わりはない。今の雇用環境で、どれだけ効果があるのだろうか。

元凶は貧困にある。生涯未婚率30%を暗示する社会など尋常ではない。同じ高いとはいえ、欧米は非婚であり、意味合いが全く違う。女性の社会進出を促したところで、非正規やパートでは、いくら頑張っても月収は10万円程度にしかならない。これは社会進出ではない。少子化で不足する労働力の補填でしかない。

2035年には介護やサービス業を主に一千万人が不足する。ならば職務は一段と過酷さを増す。安い給料で長時間、重労働を強いられることになる。子供なんて持てない。その前に結婚さえ出来ない。これで、どうして少子化対策になるのだ。人口減少を助長するだけではないのか。全ては放置した少子高齢化に起因している。

国の地方創生や少子化対策に期待してはならない。これらは、貧困の実態を知らない、エラ~イ先生方が描いた机上の空論に過ぎない。地方移住も、解氷の奪い合いであり、衰退の連鎖しか招かない。

ならば第三の道を模索してはどうか。価値の創造はものづくりだけではない。他力本願では解決しない。今ある資源で打開すべきではないのか。資金力で中央には勝てない。だが地方には経験に培われた知的な財産が豊富にある。

こうした見えざる価値を埋もれさせておくのは勿体ない。長い歴史を紐解いても、爺さん婆さんの多い地域ほど、子沢山だった。長老は知恵袋として慕われていた。“年の功”だって立派な商品になるのではないか。