対策編・前述(1)から続く
打開策はあるのか。それは出生数の確保に尽きる。合計特殊出生(率)ではなく(数)に徹することだ。率の論理を排除して人口を健全に維持する上で必要な出生数を確保するための政策だけに特化することだ。
前述の如く日本の人口問題は重篤に等しい。処方箋としての子育て支援など福祉の充実は当然のことだが、これは治療ではなく予防にすぎない。未病や初期の病には効果があっても末期患者の特効薬にはなり得ない。
昔から「貧乏人の子沢山」と言われる。まずはこの定説から脱却しなくてはならない。かつての児童手当、そして数年前にお騒がせの子供手当。ある意味これは正しい。問題は支給対象であり、その額にある。
現在の年代別人口構成で人口の維持を計るなら20歳代の女性に生涯2.6人、10歳代なら3.0人、0~9歳代ならば3.6人の子宝を強いなくてはならない。果たして現在の支給額で、どれだけの効果があるのだろう。
それも一人っ子を含めた全員にである。多少の消費効果はあるにせよ、これで子供の数が増えるとは思えない。一人っ子でも金も手も掛かるのはわかるが、これでは少子化対策にはならない。単なるお小遣いだ。
そこで案だが、特効薬は対象の限定と手当の大幅アップしかないのではないか。理想は世代別に勘案して、それぞれの支給対象、金額の設定だが、年代ごとに出生率が下がり続けている実情からはなかなか難しい。こうした段階的設定が困難なら、近年の出生数をベースに、どうしても女性一人あたりの生涯出産数を3人以上で期待しなくてはならない。
「産めよ増やせよ」の、あの暗い時代の再来では、とお叱りを受けるかも知れないが、そうではない。当時は、子沢山は貧乏人の代名詞だったが、これを死語にすればよい。二人までの子持ちにはちと厳しいが、この場合は一定の基準を設け対象を限定する。
あくまで支給は三人目以降だ。三人目からは月額10万円を基準とし、四人目からは増額も検討する。財源が課題だが、既施の子供手当や児童手当の全員支給を考えれば、ほぼ同額の総予算であれ、より大きな効果をもたらすだろう。
具体的試算に続く・・
打開策はあるのか。それは出生数の確保に尽きる。合計特殊出生(率)ではなく(数)に徹することだ。率の論理を排除して人口を健全に維持する上で必要な出生数を確保するための政策だけに特化することだ。
前述の如く日本の人口問題は重篤に等しい。処方箋としての子育て支援など福祉の充実は当然のことだが、これは治療ではなく予防にすぎない。未病や初期の病には効果があっても末期患者の特効薬にはなり得ない。
昔から「貧乏人の子沢山」と言われる。まずはこの定説から脱却しなくてはならない。かつての児童手当、そして数年前にお騒がせの子供手当。ある意味これは正しい。問題は支給対象であり、その額にある。
現在の年代別人口構成で人口の維持を計るなら20歳代の女性に生涯2.6人、10歳代なら3.0人、0~9歳代ならば3.6人の子宝を強いなくてはならない。果たして現在の支給額で、どれだけの効果があるのだろう。
それも一人っ子を含めた全員にである。多少の消費効果はあるにせよ、これで子供の数が増えるとは思えない。一人っ子でも金も手も掛かるのはわかるが、これでは少子化対策にはならない。単なるお小遣いだ。
そこで案だが、特効薬は対象の限定と手当の大幅アップしかないのではないか。理想は世代別に勘案して、それぞれの支給対象、金額の設定だが、年代ごとに出生率が下がり続けている実情からはなかなか難しい。こうした段階的設定が困難なら、近年の出生数をベースに、どうしても女性一人あたりの生涯出産数を3人以上で期待しなくてはならない。
「産めよ増やせよ」の、あの暗い時代の再来では、とお叱りを受けるかも知れないが、そうではない。当時は、子沢山は貧乏人の代名詞だったが、これを死語にすればよい。二人までの子持ちにはちと厳しいが、この場合は一定の基準を設け対象を限定する。
あくまで支給は三人目以降だ。三人目からは月額10万円を基準とし、四人目からは増額も検討する。財源が課題だが、既施の子供手当や児童手当の全員支給を考えれば、ほぼ同額の総予算であれ、より大きな効果をもたらすだろう。
具体的試算に続く・・