今朝5時頃

体が震えるほどの寒さを感じ

上に毛布を掛け、長袖のトレーニングウェアを

着て、暖房を入れました

まだ、布団は夏仕様

上はTシャツに

下はロングのトレーニングパンツでした

幸い、風邪を引くことにはならなかったです

ただ、午前中は気温が上がり

冷房を入れました

しばらく

こんな寒暖差が続くのでしょう

 

 

改めて、平将門について簡単に説明すると

「平将門」(たいらのまさかど)は

武士ながら

桓武天皇(かんむてんのう)の血筋を引く高貴な人物

天慶2年(939年)に起きた「平将門の乱」では

自らを「新皇」(しんのう)と称して

天皇になることを宣言します

これは

古代以来の支配体制を揺るがす、画期的な大事件

貴族の時代を終わらせ、武士の時代を作ろうと

されたことでも有名です

新皇を称して、2ヶ月後

朝廷軍に敗れ、亡くなってしまいます

 

無念の死となった将門は

その後

崇徳天皇、菅原道真と並んで

「日本三大怨霊」

と呼ばれるほど、有名です

 

 

島広山・石井営所は

平将門公の最後の最大拠点です

 

岩井市街地から結城街道を沓掛方面へ向かうと

前回の国王神社手前に信号があります

その交差点を右折し、延命寺に向かう途中の台地を

島広山(しまひろやま)と称します

ここに将門が関東一円を制覇するときに拠点とした

石井営所跡(いわい えいしょあと)があります

※いわいですが、岩井と書かず、石井でそう呼びます

ここは低い台地が広がっていて

低い湿地帯からは島のように見えたようで

この台地は島広山と呼ばれるようになりました

 

平将門は

出陣するのに3000の兵を集めたりしているので

石井営所は家臣らの

居館、郎党などの住居・宿舎や食糧庫、馬繋ぎ場などがあり

平将門の政治・経済・軍事の本拠地とになり

その規模は

かなり広大であったと推測されています

940年、藤原秀郷と平貞盛の軍勢に破れ

石井営所の建造物などは焼き払われた

敗れた平将門は

石井の北山に最後の布陣をしたともされます

 

「島広山・石井営所跡」

 説明文に岩井市となっていますが

2005年に猿島町と岩井市は坂東市に合併しました

島広山・石井営所跡 | 坂東市公式ホームページ (bando.lg.jp)

 

「島広山・石井営所の記念碑」

正面奥に見える車の手前左に入ったところにあります

看板は5台ぐらい置ける駐車場

 

上を進み、看板左の小道を入ったところにあります

 

「石井営所跡記念碑」

 

 

「島広山記念碑」~下2枚

 

 

この記念碑奥の風景

 

上の写真左奥から見た記念碑場所の風景

 

駐車場手前からの島広山・石井営所跡の風景