本来なら、今日は可成寺の記事でしたが

昨日の大河ドラマを見て

自分なりにおさらいをしてみました

 

昨日の大河ドラマ「麒麟がくる」で

斎藤道三が壮絶な死を迎えてしまいました

本木雅弘さん演じる道三は

自分の中では今までで最高の道三でした

もう、ネットでは”道三ロス”が相次いでいますが

自分もそうです

因みに信長は高橋幸治さんが一番近いと思っています

 

長良川の戦いを史実的に見ると

弘治2年(1556年)4月18日

初め道三は大桑城を出て

鶴山へと布陣した

一方、織田信長も木曽川を舟で超えて

戦いの場から約8kmの

大良(現岐阜県羽島市)の戸島・東蔵坊で

陣所を構えました

 

20日辰の刻(午前8時の前後2時間)に

義龍軍が長良川南岸に動いたのに応じ

道三は鶴山を下りて長良川北岸に移動

ここで両者は激突しました

(現在の岐阜メモリアルセンター周辺)

道三軍2,700余名に対し義龍軍17,500余名

もう、勝敗は言わずもがな

長井道勝が道三を生け捕りにしよう組みついたが

小牧源太が首を切り落とした

ドラマでは義龍との一騎打ちのように

描かれていましたが

史実はこうでした

 

信長は自ら殿軍として出向いたものの

合戦には間に合わなかった

勢いづいた義龍軍は信長軍を攻め

(大良河原の戦い)

この時に蘭丸の父・森可成は馬上で

膝を切られたとの記録が残っています

その後、信長軍はこの場を退いたと伝わります

 

現在の「岐阜城」

 

あくまでも自分なりの推理です

※今年2月11日、岐阜城天守からの撮影より

イエローラインが「大桑城」

ピンクラインが「鶴山城(鶴ヶ峰砦・岩崎砦)」

グリーンラインが道三軍の進路

 

「長良川決戦の場」

ライトブルーラインの

で愛ドームなどのある岐阜メモリアルセンター付近は

当時、長良川が迂回していて川原だったそうです

グリーンラインは上の道三軍の進路

レッドラインが義龍軍進路

この周辺で激しい戦いが繰り広げられました

 

岐阜メモリアルセンター

左から長良川球場・で愛ドーム・ふれ愛ドーム

手前が長良川競技場

https://www.gifuspo.or.jp/GMC/100/101-2.html

 

イエローライン

斎藤道三は両ドーム辺りで亡くなったといわれます

Cが鷺山城

以前は鷺山城から戦いに挑んだとされましたが

近年では鶴山城から出陣したと変わってきています

 

上のAが「道三塚」

義龍の道三の首実検の後、そこに埋葬されたそうですが

長良川のたびたびの氾濫により

現在地に移転しています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

斎藤道三が剃髪したといわれる

「常在寺(じょうざいじ)」・・・”岐阜市漫遊”から

https://www.gifucvb.or.jp/sightseeing/detail_kankou.php?eid=00008