昨日は3時間ほど、ドライブがてら

愛知県犬山市から岐阜県各務原市で

花見をして来ました

 

明日は妻木にある

流鏑馬で有名な「八幡神社」で

火曜日から

国宝・犬山城の桜、城下町などの

”桜シリーズ”を5回位、載せて行く予定です

桜ばかりを撮ってた訳じゃないので

ピンク色一色にはなりません(笑)

 

 

今日の大河ドラマ「麒麟がくる」の

12話のタイトルは”十兵衛の嫁”で

妻木荘が出て来るようです

 

この大河ドラマの設定では

十兵衛こと明智光秀の正室・煕子は

妻木荘にある妻木氏一族の出身となっています

今日紹介する「御殿跡・士屋敷跡」が

舞台になります

 

今一度整理すると

妻木氏は土岐氏の土岐明智氏の流れと

なります

 

煕子の出自(しゅつじ/生まれ)は

現時点では妻木氏が定説になっています

煕子は妻木煕子(つまきひろこ)または明智煕子で

残された資料が少なく実像はよく分かっていません

※妻木城は”つまぎじょう”といいますが

名字は”つまき”といいます

 

「細川家記」によると

妻木勘解由左衛門範煕の女とあり

※(つまき かげゆざえもんのりひろ)

細川忠興の室(細川ガラシャ)の母であることから

信憑性が高いといわれます

 

名前の煕子(ひろこ)ですが生前の名前で不明で

江戸時代に付けられた名前で

父の範煕(のりひろ)から来ているのだと思います

 

煕子の子については俗説が多いですが

長女が明智光春(秀光)の室

三女が細川忠興の室・細川ガラシャ

四女が信長の弟・信勝(信行)の嫡男・津田信澄の室

といわれます

 

※妻木城址の会では

次のように考えています

http://tumagijyou.com/?p=100

 

 

今日の「御殿敷跡・士屋敷跡」ですが

妻木城北側の山麓には

御殿と呼ばれる領主の館と武家屋敷が築かれ

万治元年(1658年)の妻木家断絶まで

陣屋として存続しました

妻木城跡、妻木城士屋敷跡(御殿跡・士屋敷跡)として

岐阜県県指定史跡になっています

https://www.city.toki.lg.jp/docs/hpg000008738.html

 

「御屋敷跡・士屋敷跡」

 

 

 

下の部分が御殿・士屋敷の想像図です

 

「御殿跡・士屋敷跡(さむらいやしきあと)」のパンフレット

御殿跡がピンクのラインの部分です

 

 

 

「御殿跡」

 

 

 

 

 

三段のひな壇のような敷地です

 

 

 

「門跡」

 

 

「桝形」

 

 

「門跡」

 

 

 

 

「池跡」

 

 

「井戸跡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上段の上の写真の上に

おそらく、土砂対策用の石垣が

御殿を囲むように長く連なっています

上り口がハッキリしていないので

知らない人が多いと思います

見る価値ありです

 

 

御殿の左側にも平地があるので

ここにも屋敷があったと思われます

 

御殿左側に「御蔵跡」があります

取り囲むように石垣があり

しっかりと残っています

 

 

 

御蔵前にも屋敷跡

 

道路を挟んで右側が「御殿跡」

左側の南駐車場が「屋敷跡」

その奥の木々の部分が

「伝入隠宅跡(隠居宅のこと)」

 

イエローのラインが「士屋敷跡」

今回の写真の部分がグリーンのラインです

みなさん、大河ドラマの影響で

「ここが光秀の奥方の煕子さんの住んでたとこね」

という感じで

御殿エリアで帰られる方がほとんどですが

イエローのラインには屋敷跡だった平地が

よく分かるところがあるので

南駐車場右隣りの細い道を歩いてみて下さい

 

 

 

 

 

 

石垣も残っています

 

井戸跡もあります

 

 

 

 

 

御殿前に南駐車場にありますが

ここも士屋敷跡でした