別記事を挟んでいましたが、今回次回と2回で太田宿を終わります
現在の太田宿はこうなんだなと見ていただければと思います
太田宿中山道会館から出て、木曽川沿い下ります

水神さまの石塔がここだけでなく、堤防を降りた川岸など、沢山あります


「太田川並番所跡」

この付近に川波番所がありました


「虚空蔵堂と承久の乱古戦場跡」

「虚空蔵堂(こくうぞうどう)」
太田宿の西の出口にあたり、京へはここから木曽川沿いを歩きます
この虚空蔵堂は旅人の休憩所や旅の巡礼者が宿泊したともいわれています

安永2年(1773年)・・・今から245年のものです





寛政5年(1793年)・・・225年前


天明元年(1781年)・・・237年前

「承久の乱・木曽川の戦い(大井戸の戦い)」の端緒となった場所です
木曽川の対岸(この中濃大橋から上流まで)には幕府軍50,000人、
太田側には上皇軍わずか2,000人で一蹴され、下流の各務原(摩免戸の戦い)へと移ります

「坪内逍遥ゆかりのムクノキ」

虚空蔵堂のすぐ横にあります
虚空蔵堂やこの付近は幼少期の坪内逍遥の遊び場でした

「尾張藩太田代官所跡」
美濃も一部が一時期、尾張藩となり(自分の居る街も区割りによっては愛知県になっていました)、
ここに「尾張藩太田代官所」が置かれました

この太田小学校の左側にあるプール付近にあったそうです

太田代官所すぐ前にある「妙見堂」は坪内逍遥のゆかりの地です
坪内逍遥は父が太田代官所手代の坪内平右衛門で、その子息として代官所役宅で生まれました


「弥勒寺跡と枡形」
何でもない写真ですが、正面のレストランの建物が弥勒寺跡で前の道は下3枚目のように枡形になっています



「庚申堂」


「右 関上有知」は現在の関市、美濃市で、「左 京伊勢」は京都、伊勢市です

真ん中の細い道が「郡上街道」で、現在、高札場の説明看板は
右側にありますが、当時は左側の建物の場所に立っていました

ここから太田宿、東方向のメイン道路です


次の枡形まで一直線です

