モンマントルから地下鉄を乗り継ぎ
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パリと言えば凱旋門。
凱旋門(がいせんもん)とは、
軍事的勝利を讃え、その勝利をもたらした将軍や国家元首や軍隊が凱旋式を行う記念のために作られた門のこと。
発祥の歴史は古代ローマ時代まで遡る。
建築物としてはフランスのナポレオン・ボナパルトがパリに作らせたエトワール凱旋門(1836年)が有名であるが、これも古代ローマの風習にならったものである。
現存する古代ローマの凱旋門は多数あるが、壊されたり、別の建物の建材になったりしたため、完全な形で残っているものは少ない。
その中ではコンスタンティヌスの凱旋門が史跡として貴重である。
凱旋「門」となってはいるが、古代ローマでは都市城壁や城門とは独立して建てられた記念碑的建造物であった。
エトワール凱旋門(エトワールがいせんもん、仏: Arc de triomphe de l'Etoile)は、
フランス・パリのシャンゼリゼ通りの西端、シャルル・ド・ゴール広場にある凱旋門である。
パリの象徴的な建造物の一つで、単に凱旋門と言えばこのエトワール凱旋門を指すことも多く、世界有数の観光名所となっている。
この凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを始め、
12本の通りが放射状に延びており、その形が地図上で光り輝く「星=étoile」のように見えるので、
この広場は「星の広場(エトワール広場) la place de l'Etoile」と呼ばれていた。
そのため、「エトワール広場の凱旋門」の意味の「Arc de triomphe de l'Etoile」との正式名称がある。
但し、現在この広場は「シャルル・ド・ゴール広場 la place de Charles de Gaulle」と名称が変更になっている。
なお、「凱旋門 Arc de triomphe (アルク・ド・トリヨーンフ)」の直訳が「戦勝のアーチ」であることでも分かるように、「凱旋門」自体は戦勝記念碑である。
そのため、凱旋門はパリだけでもカルーゼル門、サン・ドニ門、サン・マルタン門など多数存在する。
因みに、シャンゼリゼ通りとこのエトワール凱旋門の延長線上のラ・デファンスには「新凱旋門 グランダルシュ」 (la Grande Arche、またはl'Arche de la Défense) があるが、これは戦勝記念碑ではないので、正式名称に "triomphe" が付いていない。
すなわち「凱旋門」ではない。
しかし、シャンゼリゼ通りの都市軸上にある、カルーゼル凱旋門・エトワール凱旋門に続く第3番目の「門(arc, arche)」であるとの認識があるため、フランスの国の標語である「Liberté, Égalité, Fraternité」(自由、平等、友愛)から、「La Grande Arche de la Fraternité」(直訳 - 友愛の大アーチ)との正式名称を持つ。
なお、日本では、「凱旋門」が「エトワール凱旋門」を示す固有名詞と化してしまったため、実際は凱旋門ではないグランダルシュにまで「新凱旋門」と名づけてしまった。
なお、北朝鮮の首都平壌にも金日成の帰還を記念して造られた「凱旋門」があるが、
これはエトワール凱旋門を意識して造られたといわれ、
それより高さが10m高く、世界一とされている。
古代ギリシャ、ローマを模範とする新古典主義建築の代表作である。
歴史
エトワール凱旋門は、前年のアウステルリッツの戦いに勝利した記念に1806年、ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まった。
ルイ・フィリップの復古王政時代、1836年に完成した。
ナポレオンは凱旋門が完成する前に既に死去しており、彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時であった。
古代ローマの凱旋門に範を取ったもので、新古典主義の代表作の一つ。
エトワール凱旋門の下には、第一次世界大戦の無名戦士の墓がある。
第二次世界大戦ではナチス・ドイツのパリ占領に際してナチス・ドイツ国旗が掲げられ、ヒトラーが戦車で凱旋した。

凱旋門からエッフェル塔。

凱旋門から新凱旋門。