四季の畦道を歩くなかで出会う様々なひとたちとの一期一会を文にしています。
きょうの詩は、何事も他から言われ「私合わないのかな・・・」と思わないで、前向きに行こうという思いのうた。合うことを見つけよう人には得手不得手があるものそれは社会に出るまでの勉強でも友達作りでも社会に出ても仕事でも付き合いでも合わないことはありうること人生においてもいろいろな好き嫌いがありうるし……そのためには「私に合うことはある」そう思い、自分に合うものを見つけよう人生には時に道草も寄り道も必要だから明日を大切にしよう……
きょうの詩は、秋の訪れを告げる彼岸花が群生地から消えたわけを私の思いでみる。好きなひとの消えに思う昨年も数本がパラパラとしか咲かずこの秋は・・・思いを訪ねれば花の咲くのは数本でそこにはあの頃の群生はなく寂しい空間が広がっているポツン・・と咲く花がここが以前の群生地であることを告げているが「なぜ」問う私に返答はなく寂しい空間が広がっている生には衰退と再生はつきものということは分かるが目にすると消えるのが現実と思うがなぜか涙がこぼれない・・・
きょうの詩は、私が恋に対し思い、自分なりに恋して私が思う恋についての思い。恋して誰もが一度は恋して思うドラマは好き≒恋に至らずに時折喜怒哀楽を繰り返す恋は好きになっても相思相愛には至らずわかれと出会いを繰り返す恋はふられても諦められず未練に縋るひとの恋の切なさ哀しさは恋してを繰り返すが私は自然に吹く風に抱かれて自然体で咲いていく恋をしたい・・・
きょうの詩は、私が荒むいまの社会をみて思う私の他人の善悪に重ねみる思い。善悪を思う人の生き方について人それぞれの考えがあってよいと思うがそれはないでしょうそう思うなかで、あまりにも多い善の喪失に人の自己中心というか、身勝手さを知り人は自ら善悪のコントロールをしなくなったのかそう思うと悲しく歪む人間社会を知る人の善悪の喪失は士農工商への回帰かそう思うと寂しい・・・
きょうの詩は独りで生きるに思う、ひとは独りより二人がよいが人それぞれの生き方があるが、ひとりでも支えをもっていきたいと思う。独りで生きる人はひとりでも生きていけるが、孤独感に陥り、耐えられないことがある。独りの生き方若いときは気力も充実し、モチベーションも高く、活力を維持して生きていけるが、人は支えがあっても独りであり、人間である。私は独りでも支えを持って、人として生きたい。・・・
きょうの詩は、町に住むと秋を告げる色をなか‥見ないなかで秋を知るのは野花から、その野場で知る秋の詩。秋を知るひと町に住んでいると秋の訪れを知ってみる機会は少なくその少ない秋を野花に求め訪れを知るのが私のtheoryかなそろそろ逢えるかな・・・逢える頃になると想いをときめかせながら可愛い微笑みで私に秋を告げる彼女が可愛い笑みで「久しぶりね」優しい笑顔の野花の咲きに秋を知る。
きょうの詩は私が思う形、私が考える結婚を一緒になるを形にして残すと考えの想い。私の思う形私が放浪の果てにひとりから二人になったのは私を繋ぐためなぜなら私の形は永遠に残らずいずれ内部崩落で無に帰する私の形それはすべてのものに訪れる消えのProcessそのため私は他人はひとりでなく二人もありと選択する二人にかかわらず独りもありとは思うが少し切ないかな・・・
きょうの詩は例え、いまの私を何かに例えるなら今は利用価値の少ない杉に例え思う私私を例えるならいまの私を何かに例えるなら植林された杉であるなぜ以前は重宝された杉も定年退職し過去の人となって枯れを待つがただこのまま朽ちを待つのではなく持っている情熱を保持しながら一人の人間としていまを保持して形を起こしたい・・・
きょうの詩は、続く長雨のなかでようやく郊外を歩けるうれしい雨の一休みに思う雨空の一休み青空を消し続けた雨雲が「ああ……疲れたから、今日は一日休もう」そう言ってジョウロを横の雲に置いて雨戸を開けた空に見える青空を見て束の間の一休みの中で出会う小さな秋の微笑みを樹木の下に見てうれしい「秋か……」うれしい日和のなかで出会う小さな秋の微笑みが雨の一休みのなかで「秋だよ」とウツボがにこりと微笑む。
きょうの詩は、私のいまの形を作り維持するToulととなっている会話に思う私(ひと)の会話ある意味で人のToolは一方通行と思うなぜ、どうして・・・それは話しかけられても無言を貫けば会話は成り立たないがその会話はいろいろなToolを通して成り立ちその会話からひとの喜怒哀楽が生まれ他人とのコミュニケーションが成り立ちいまの私があるのかもしれない。
きょうの詩は、互いが長い暮らしをしているから、互いのことを知っているようで知らない関係を改めて知る、その想い私は私で独り愛するひとのことを私は知っているようで何も知らない互いに好きになって恋して二人で過ごしているがあなたのことを何も知らないでいるいまの私は裸の王様かな言えることは深く愛し合っていても愛別離苦で私は私で独りすべてが私と同じとは思わないが……
きょうの詩は、私が思う「恋って」を自身の思いを一文にしたのがこの詩です。恋って私ならこのひとと恋したいと思い自分の好きな相手をイメージするけれどそうもいかないのが男女の関係かなあ・・・色々な場で素敵なひとだなそう思っても恋が始まるとは限らないしそのまま何事もなく終わるのが男と女のtheoryこのひと私の好きなタイプそれが好きの始まりであっても恋に至るとはならないのが男と女ひとの恋ってtheoryどおりにいかないから「恋って」そう思うのかもしれない。
きょうの詩は、秋来るのなかで、町に住んでいるとなかなか見えない秋を鳴くひとりの蝉から別れと秋の深まりを知る。、わかれの声九月のページを数枚めくるなか寺の佇む森のなかを歩けばあれほど喚き散らした夏蝉の声がいまは消え代わりに彼女の声が・・・ああこの声はツクツクボウシか聞くとうれしいというか懐かしい女性(ひと)に会えてうれしくなって耳を澄ますが何れ彼女ともGoodbye, see you sometimeと声をかけ街にも秋が深まる・・・
きょうの歌は、私が思う男と女の感情に左右されない絆に思う詩。男と女の絆男と女で線を引かないでひとりの人間として frank に話せたらと思うがなかなかそうはいかない。男と女は好きでなく好きは会話の tool であり楽しく会話することで得る人間関係の構築は得がたく、絆を形作る。そう。男と女の恋を抜きにした絆あり、と思う私。・・・
きょうの詩は、夏が終りいまだに夏彩を残す葉っぱなどが蔽う森の未練の一コマ。葉っぱの未練多彩な個性豊かな葉っぱが雨のなかでみせる個性豊かな葉っぱの青の表情を拾い観て知るでかい顔を涙でぐしゃ・・にしてみせる広葉樹の葉っぱから葉の先の滴が美しい針葉などの葉っぱにしなやかな細指の先から滴り落ちる濡れと滴がみせる洗われ潤う瑞々しい青緑が森のなかで多彩な風情を描くこの色模様こそ残夏が描く葉っぱの未練。
きょうの詩は、降る秋雨のなかで四季の移ろいをみて思う私の心中のうた。九月の雨秋雨の降るなかいつもの寺の森を歩きながら移ろいを探すがその片鱗はなくいまだに夏彩で化粧しているがその雨に濡れる欅の葉っぱは瑞々しく梅雨のころの顔でこれじゃ秋の彩はまだ・・先か思う私の顔に降りかかる雨は温くあの梅雨の温かさこれじゃまだ彩に逢えそうにないな・・・思う九月の初め
きょうの詩は、月替わりに近くに在る小さな森に向かう道を歩きながらみる風景の一コマ・・をみて思うきょうの私の思い。月が替わる今日は八月が終わり九月である朝の防災告知がそう告げるが空をみても昨日の空色で暑さも夏の暑さで歩く無色の道も渇いて何も変わっていないと私は思うそう思うなかひとつ消えたものがあるそれは蝉あのうるさい声が消え夏が終わったと私に告げるがその微妙な移ろいを受け入れない私に九月が空気が読めないひと・・・
きょうの詩は、いつもなら「夏だ‥」と言って仲間と題名をつけ楽しんだ夏も、この夏はその題名をつけることなく終わり、無題で終る夏に思う。無題の夏ああ・・・私の夏が終わる求めたいちごいちえは形にはならず夏を謳歌しながら一夏の恋にときめくこともない私の夏が終わり終えた楽譜の一枚・・のト長調の後に音符のない楽譜が演奏されることもなく私の無題の夏が終わる何で・・・曲のない私の夏が終わる。
きょうの詩は、老いていくと月日の流れは何も変わらないけれど生活の変化のなかで月日の刻みが流れに思う変化を生の劣化として書いたうた、」生の劣化いつも月の終わりになるとおもう月日の流れの速さいまは月日をめくるから躊躇いにかわり待ちわびることもなくなり時の刻みは川の流れとなってわたしをおいその過ぎを振り返りおもうのは車窓からの風景で心に残る一コマはすくなく月日の流れがわたしの劣化を生んでいく・
きょうの詩は、、暑さが少しずつ衰えようやく涼を知る八月の終わりになり、いまだに静める風はなくその風を待つ私の思い。秋風を待つきょうから天と地の暑さがようやく衰え少しずつ秋を感じる八月の終わりそうかな・・・とはいえ日差しは暑く風が止まり渇く大地から蝉に代わり鳴く彼らの声はなく今宵から・・・私の火照りを和らげる風をきょうかあすかと代わる潮目を待つが・・・いまだ待つ人はこない