百年の孤独 | 私の本棚から

私の本棚から

本・ペット・日々の出来事・プチ旅行


 6年位前、読解に苦しみながら読んでいた本がある。それを見て同僚女史が「あれ?それ宮崎の焼酎の名前と同じだ」と言う。さすが、呑んべい姐さん!酒の名前というだけで、ピピットきたようだ。『百年の孤独』である。ネットで調べたら、生産量が少なく、なかなか手に入らない焼酎らしい。
確かにこの焼酎、ガルシア・マルケスの小説から名づけられたようだ。
毎日、氷結なんぞをグビグビしている私としては、一度は呑んでみたいしろものだ。
検索ついでにガルシア・マルケスというファッションブランドもあることがわかった。

2006年~08年にかけて、新潮社よりガルシア・マルケス全集(全9巻)が発売されると冊子で読みさっそく『わが悲しき娼婦たちの思い出』『百年の孤独』を購入した。

__.JPG 

『百年の孤独』は私にとって、とても厄介な小説だった。何度も挫折しながら、なんとか読み終えた時はやっとこの物語から解放されると安堵感さえ覚えた。ホセ・アルカディオとウルスラ・イグアランが生まれた村を出たのは、過去に姻戚関係で結ばれた二人の間に「豚のしっぽ」を持つ子が生まれたことがあり、それを怖れたことに端を発している。この二人も姻戚関係にあるからだ。たどり着いた土地を拓きマコンドと名付け、新しい家を建てた。ウルスラは朝から夜更けまで働き「家」を大事にし、そして君臨し120年近く生きるのです。この本の一番の厄介なものは登場人物(家族)の名前なのだが、最初のページに家系図が載っていて、まあ何度ひっくり返して見たことか・・・・・・男は6代に渡りホセ・アルカディオとアウレリャノを名乗り、女はウルスラと名付けられる。永遠とこの名前が続くので少し辟易してしまうが、あり得ないエピソードが出てきて楽しい。何処からやってきたのか忘れたが中庭の湿った土と壁から爪ではがした石灰を喜んで食べるレベーカという少女。3代目ぐらいのホセ・アウレリャノ・セグントの情婦ぺトラは自然を刺激するほどの力をその色事に秘めている女で、そのぺトラを家畜の飼育場まで連れ出し一回りさせれば、手の施しようもなく家畜が繁殖していき、繁栄につながった。小説の後半にさしかかるあたりには、4年11ヶ月と2日雨が降り続く。このころからウルスラの屋敷は植物に侵略され赤蟻に浸され崩壊に向かう。そして、最後はアマランタ・ウルスラと甥のアウレリャノとの間に豚のしっぽを持つ子供が誕生してしまう。この物語は、100年前にマコンドにやってきたジプシーで錬金術師のメルキアデスによって編まれた一族の歴史であった。この羊皮紙を解読していくアウレリャノ。解読とともにマコンドは廃墟と化していった。百年の孤独を運命づけられた家系は二度と地上に出現する機会はなかった。
読み終えて一番印象に残ったのは、やはり、ウルスラの「家」を大事にする姿勢であった。とうに100を超え失明しているにもかかわらず、屋敷の材木をすさまじい音を立てて穴をあける白蟻、土台を堀り崩しつつある大きな赤蟻と気づき闘う姿は一族のどの男よりもすごいのです。
安部公房の『砂の女』 を少し連想した。

『わが悲しき娼婦の思い出』 は、満90歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた。この書きだしで始まるのです。この主人公は時に死の影におびえることはあっても、その少女を愛することによって、元気で前向きなのです。
谷崎潤一郎の『痴人の愛』のナオミに全面降伏し奴隷化し破壊の一途をたどる男や、田山花袋の『少女病』のひたすら通勤電車で少女観察する変態男、そして『蒲団』の離れて行った弟子の女性が残した蒲団に顔をうずめて泣く女々しい男などとは違う。
さすが、ラテン小説だ。