二戸散策から三戸を経由して三沢空港に向かうルートを考えていたが

まだまだ時間があるので八戸を軽く散策することにした。

この春、令和になって初御朱印は櫛引八幡宮で頂いたが、八戸はそれ以来の散策になった。

 

八戸は、青森でも1、2の大きな街なので、二戸の様なのどかな街の雰囲気がなく、場所によっては交通量も多いので

適当にブラブラでは、移動にちょっと厄介、なので明確に場所を特定して進む方がいい。

まずは、長者山に向かった。ここは、昨年も参拝していた。

 

昨年は、ものすごく義経の足取りを辿ることを楽しんでいたので

西の屋島、壇ノ浦の様な史実にある場所を散策をベースに、東北の伝説のエリアを巡ることを楽しんでいた。

 

歴史上義経は、平泉で討たれたことになっているが、伝説では北に向かって逃れたと言われ

北東北では義経伝説が各所に残っている。

 

蔵王出身の我が祖父も、義経は平泉から逃れたと普通に話をしていた。

義経が大陸に渡りまでは話をしていなかったが、津軽半島の三厩から北海道に渡ったとまでは言っていたが

 

たぶん大正から昭和前半には、東北ではそのような教育があったのかも知れない。

祖父は、当時いないとされた神武天皇、欠史八代の存在も否定しなかった。

たぶん、祖父の先生は、当時としては珍しい人だったかも知れない。

今では周知だが、真田幸村の子孫が宮城蔵王に逃れたことも良く話をしていて、それを学校で説明すると皆に笑われたりもした。

そんな時、祖父の知識を疑ったが、私も歴史を色々と勉強していくにつれ、表面に出ない歴史のことを知り、祖父の話をもっと聞いておけば良かったと後悔した。そんな祖父の好きだった義経のゆかりの地を再び巡ることにした訳だ。

 

私の祖父が義経では当然無いが、義経を思い出すと同時に祖父を思い出す。懐かしくもうれしい気分になる。

地理的位置から推測すると平泉から北上し

本州最後の到達点の三厩までのルートを考えると

やはり安比ぐらいまでは奥羽山脈に沿って歩き、そこから津軽方面に向かったと思っていたが

義経の船の知識を考慮すれば、平泉から太平洋側に向かってそこから八戸ぐらいまで船で移動したと考えれば

八戸界隈に居たというのも理屈が通る気もする。

それは、以前八戸を散策した時に、各所に八戸伝説が残ることから義経の痕跡をたどったが

今回は、義経ではなく素戔嗚尊をキーワードに散策すると、

2つの目的が一致する神社があった、それが新羅神社だった。

 

新羅と言うなから、朝鮮半島を思い浮かべるが

ここの新羅は、新羅三郎から来ているようだ。

この神社は、えんぶりなどの祭祀が有名だが、私は残念ながらみたことがない。

境内には、桜山招魂神社も祀られている。

日露戦争などの戦死者を祀った神社だ。

御朱印には、えんぶりの姿の印が押される。