二戸と言う街は、西側に馬淵川、北側に白鳥側そして東側に猫渕川の3方が川で囲まれた土地だ。
これらの川を利用した天然要塞に、南部藩の宗家が構えた九戸城が鎮座した、大変由緒のある土地だが
九戸城の位置から想像すると、現在の町の発展は大きく2箇所に分けられそうだ。
現在は、九戸城が中心とするなら、南西に新幹線の駅が出来たことで、新しく立派な家が目立つ。
しかし、賑やかなのは城付近・・・明らかに、街の雰囲気が違う。
馬仙峡や男神・女神岩など奇岩が目立つ土地だが、その昔八戸方面に向かう大変重要な土地だったようだ。
その昔、ここは福岡と呼ばれ、城も福岡城だったらしい。
以前訪ねたこの地の鍛冶屋で購入した剣鉈には誇らしげに「福岡」の文字が彫り込まれていた。
不思議と私は青森単身赴任中からこの界隈が好きで
良くブラブラした。浪打峠お交叉層 ここでは末の松山とされるが、古代の謎が各所に残って面白い土地だからだ。
九戸城の英雄 九戸政実と言う武将がいた地だが、あまりにマイナーなため
その情報は関東まで届かない、以前私が住んでいた三沢地区の友人に聞いても誰もしらなかった。
大変魅力のある武将なのに、認知されないのが残念だ。
そんな二戸、随分と細かく散策したつもりだったが、1つ武内神社には参拝していなかったので、行ってみることにした。
この地で好きなものが多いので、家の土産に二戸駅に隣接するなにゃーとで買い物をする。
日光パンやかりんとうなど・・・好きな甘味も多いが、今回は短角牛のレトルトカレーを依頼されていたので、これらを購入後
向かった。
天神橋を左手に超えたすぐの道を右に、その突き当たりにある。
下に社務所があったが、ネット検索しても御朱印の記事が出てこないので、ないと判断
参拝だけすることにした。
階段を登ると、まだ改修してまもない本殿は美しく光を浴び輝いているようだった。
私が気になったのだ、狛犬だ。
造年を確認しなかったが、結構な日々を耐えた雰囲気がある。
平面的な顔、そして丸みのある後ろ足と、あまりみないタイプのものだ。
その滑稽さに笑いがこみ上げてきた。
武内神社は、仁徳天皇時代
蝦夷鎮圧のため、武内宿禰を祀ったことに始まる。
武内宿禰は、三韓征伐で神功皇后と共に戦った軍人でもあり、
天皇に使えた忠臣だ。
武内宿禰の名は代々引き継がれ、公家の流れを汲む竹内家は現代でも続いている旧家でもある。
彼を祀る有名な神社は、私が参拝済みのところでは
鳥取の宇倍神社や九州の高良大社が有名だが
こんな東北の地にも名を残しているは凄いものだ。