今回北東北に行く用事が出来、散策する時間もあったのでその昔良く散策したエリアを巡ってきた。
2ヶ月前、十和田から鹿角、そして二戸と走ってきたが、浄法寺は通過しただけで、散策はしなかった。
今回、もう何十年の付き合いになる浄法寺の坂田漆器店が9月末で閉店すると言うハガキをもらい、その前に是非挨拶に行かなくては
と思った。
この地は、高速道路のICがあるものの、二戸と安比の間にある大変静かな街だ。
瀬戸内寂聴住職が、天台寺の住職をされていた時も知る人ぞ知る状態だった。
良質の国産漆の産地としては、とても有名だが、さすが漆だけで村おこしするのも難しいだろう。
漆器はとても素晴らしいが、最近の使い捨て文化の中においては少々高額な上、手入れも必要なのでなかなか大衆化しない上
東北人の控えめさからか、浄法寺塗り自体あまり大々的に宣伝しないこともあって、通好みに区分されているところも流行らない理由だと思う。
そんな、地味で控えめな静かな土地に、天台寺がある。
伝説的超人僧の行基によって開山されたと言うが、まずこれは一連の行基伝説の1つとして確かなものではないと思う。
10世紀頃発展を遂げたとすれば、当時の豪族安倍氏の加護は疑いもないところだが、その後目立った歴史はなく
室町期以降南部氏が大きく復興するまで静かな寺だった様だ。
しかし、残された平安仏などからその間にも、貴重な歴史があったと推測できる。
糠部と呼ばれる東北の僻寒の地であること、そして一般に習う歴史上の人物にあまりゆかりがないことなど
ここが有名になる要因が少ないため、例え今東光住職が普山し、瀬戸内寂聴が住職をされてもなかなかメジャーにならなかった。
私が初めて参拝した時も、本堂は微妙に傾き、崩壊するのも時間の問題だと心配したほどだった。
しかし、浄法寺と言う町、山深い中に立つ寺の雰囲気がとても好きで、青森単身赴任中は、事あるごとに参拝していた。
調べればとても歴史のある寺だけに、1日も早い復興をと思っていたが
数年まえから、仁王門、本堂と改修を進め、この秋に本堂は完成するそうだ。
瀬戸内寂聴住職が、まだ元気なうちに綺麗になった姿をお見せしたいと願うばかりだ。
いつものごとく私は、早朝の参拝
なので、私以外いつも参拝者をみたことがないが、今回も同じだった。
改装中と言う情報から、参拝できないと感じている人もいるかもしれないが、そこは問題ない。
関東では6月の紫陽花も、ここでは今頃が見頃になる。
気持ちの良い風を感じながら、階段を登って行くと、仁王門にでる。
改修中のため、幌がかかっているが
ここには江戸期の金剛力士像がおかれ、
元三大師の札が、そこら中に貼られて姿は、地元信仰の暖かさを感じたものだ。
本堂前までくると
改修中のため、中には入れないが、全体的な雰囲気から、改修の終盤を迎えていることが良く判る。
桧皮葺の屋根は綺麗に改修されているが、
雰囲気のある桧皮葺、決して長期間持つ屋根ではないので、数年後定期的な改修が必要になることを
考えると、ここは瓦や、浅草寺の様にチタン製にした方がいいのではと思ってしまう。
その昔、本殿を支える柱の腐敗が気になったが、綺麗に補修されていた。
御朱印帳を預け、裏手の宝物館でご本尊の聖観音や如来像を見学
平安期の、一木造りで大変シンプルだが、その分温かみを感じる、大好きな仏像たちだ。
特に鉈堀の技法がはっきり判る本尊は、決して鉈で掘られたものではないが
円空の技法から名づけたものらしい。
本堂の右手には、薬師堂がありその奥には毘沙門堂がある。
そしてその右手には月山神社
この寺が出来る前、出来たあとかもしれないが、この地は月山信仰で成り立っていたことは興味深い
そしてその反対側には
長慶天皇陵がある。
謎の大き南北朝時代の天皇だが、資料の少なさからその在位を疑問視している天皇の1人だ。
陸奥太守に任じられた記録から、この方面にゆかりがあったのかもしれない。
義経の伝説の様に、晩年東北に渡り、ここで絶命したと言う伝説はまるっきり嘘ではないかもしれない。