ほぼ時間調整となった豊前高田の八幡様をお参りの後
目的の高山寺に向かった。
市街地を抜け田染方面にむかって走り小田原の集落に入り、高山寺の看板が見えるので
ここで右折するが、六郷満山では、メジャー寺例えば両子寺、富貴寺などは丁寧な案内があるが、その他はその付近まで来ないと詳しい案内がない場合が多い、でも比較的丁寧な案内にはなっている。
車でも唸るぐらいに坂道を上がり、広い駐車場に出た。
結構な距離だし、標高もそれなり・・・この日は少々雨交じりだったので、眼下に広がる山々を確認するには
ちょっと残念な天気だったが、豊後高田の街が小さく見える。
門を潜るとちょっと急な坂を上がる。
そんな距離ではないが、朝一の上り坂は正直きつい。
ほどなく歩くと
開けた場所に出る。
綺麗な本堂
それと庭が驚く程綺麗に手入れをされていて、清々しい気持ちになる。
本堂前に、御用の際は・・・・鐘を3回ならしてとあったので、鳴らしてみる。
今回この高山寺を参拝したのには理由がある。
前回の散策で、六郷満山霊場は形的には満願となっていたが
宇佐国東半島を巡る会発行の六郷満山の本には、最後に番外として
この高山寺が書かれていた。不思議と公式御朱印帳にはその記載がないので、スルーしてしまったが
この本の記載から、やはり参拝しないといけないと思った訳だ。
そして、これはネット情報で、御住職の講話も素晴らしいとの書き込みもあり
これは是非行かないといけないと決めた。
奥様が出られ、御朱印をお願いしたい旨話をすると、本堂内に案内された。
仏間の隣が障子を境に居住スペースになっているようで、まだ早朝の9時 朝食のタイミングだったかも知れない。
障子越し、御朱印・・・・満願・・・・・30歳ぐらいの・・・なんて会話が聞こえてくる。
もう50歳も過ぎた私だが、年寄りも相当若く見えるようだ。
30歳は少々大げさだが、
もう50歳とか娘が大学4年なんて答えると物凄く驚いている。
今回も、どちらから・・・・横須賀ですとこらえると、都会の人は若いと、よく分からない解釈をしていた。
さて、御朱印を書いて頂く間
ゆっくり拝ませてもらい、くつろいで待っていると。
ここで御住職が登場
結願おめでとうと・・・御朱印帳を渡された。
そして住職は、結願達成のお経を読むと言われ、御朱印をご本尊の前に置き、お経を読んで頂いた。
最後に、厚い教典を耳元でパラパラ・・・と、その風が寒いぐらい
そして、警策で打たれるがごとく、背中をドンドンと叩かれ、お経と鐘とで半ば陶酔状態になっていた体から
魂が抜けてしまうか・・・と思うぐらいの衝撃だった。
これは思ってもいなかったことなので、うれしいく心が洗われる体験だった。
読経後、お茶をいただきご住職と結構な時間話を伺った。
まず御住職は、日大芸術学部卒業で、住職をする前はCMカメラマンをしていた。
縁で延暦寺から六郷満山に入り、この寺の住職になった。
この寺は、かつては六郷満山を総括していた寺だったが、江戸時代始めに火災に合い
その後は、復興されず、幻の寺と呼ばれていた。
現在の本堂が建てられたのは1984年と大変新しい。
西叡山とは、比叡山を中心として東は東叡山の寛永寺そしてここが西の西叡山 高山寺となるとのこと。
この寺は、六郷満山の本山本寺でありながら、御朱印巡りに入っていない理由を伺った。
それは、ご住職はあくまで己の修行 佛に近づくことを実践しているのであって、大衆に対し寺に来て参拝してと呼びかけている訳ではないとのことだった。
なので、公式の御朱印帳には高山寺の記載はないが
参拝者の多くは、ここを結願の地として、最後に参拝に来る人が多く、参拝に来れば今回の様にお経を読んで話をしてとこの流れを大事にしている。
なので観光バスなどで大勢押しかけ、話もできず御朱印だけ渡して終わりにはしたくない、住職の熱い気持ちが伝わる。明確な信念を感じる素晴らしい住職だった。
振り返ればこの様な姿は、他の六郷満山の寺でも同じだ。
古き信仰を肌で感じる大変貴重なエリアであることを改めて感じた。
身も心も清々しく寺をあとにしたが、次の目的はすっぽん料理 煩悩の塊の自分が少々恥ずかしい。