圓教寺の散策を2時間みていたが、健脚を生かしたスピーディーな歩きで約30分時間を稼ぐこtができた。
この時点で13時半、次の目的は赤穂の花岳寺だが、このペースだと花岳寺以外にも巡れそうだ。

圓教寺は西国霊場になるが、花岳寺は新西国霊場になる。
赤穂と言う街のイメージとしては、赤穂義士と塩だが
予想通り、花岳寺は赤穂義士ゆかりの寺だった。

東京に住んでいると、赤穂義士と言えば泉岳寺を思い浮かべる
泉岳寺は彼らの終焉の地だが、赤穂はルーツの土地な訳だ。

赤穂義士の話は、小学生の時に本で読んだ。
浅野内匠頭と大石内蔵助を含む47義士の話は、子供でも十分インパクトがあった。
武士の行き方とはこのようなものだと印象づけた話だった。
対する吉良上野介の悪さ加減は、本でも結構厳しく書かれていたが、TVドラマや映画などで受けた印象の方がが強く、私の中では明確に完全無欠なヒール側だった。

しかし、近年色々と歴史を勉強していくと、47義士の出来事は歴史上の事実として、ほぼ正確に伝わっているようだが(TVドラマ系は随分演出されているが・・・)吉良が浅野に行った行動や、一般に描かれる吉良の性格が、正確に伝わっていないことを知り、なんとも複雑な気分だった。
正直本当のところはどうなのか??
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そんなことを頭に浮かべながら、花岳寺に向かった。
赤穂の街は、ここ以外に歩いて散策しているわけではないので、正直全貌をつかめていないが
大変静かな印象を受ける。
この花岳寺界隈は、いい雰囲気だ。
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ぐるりと回って、山門まできた。
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さすが浅野家の菩提寺だけあり立派なものだ。
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まずは本堂でお参りとなるが、天井の虎の絵が見事だった。
法橋義信筆の「竹に虎」と言う絵らしい。
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受付で御朱印をおねがいし、同時に義士宝物館や庭も見ることにした。
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まずは浅野家霊廟がその中央に鎮座している。
その裏には大石家先祖の墓があるが、義士の墓所は泉岳寺同様に一箇所に祀られている。
まさに彼らの菩提寺な訳だ。

義士宝物館には、浅野家ゆかりの品や義士の人形が展示されているがこれは泉岳寺の方が立派かもしれない
しかし、一番目を引くのは、やはり吉良の止めをさした刀だろう。