本日見学した横須賀市自然・人文博物館で気になったものが
このアーボ・ヘーボ(粟穂・稗穂)
 
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違う土地では、「あわほ・ひえほ」と読んだり、また方言など違った呼び名もある様です。
 
説明書きには以下の様に書かれています。
 
台地を開墾してつくった畑には、大麦などとともに粟や稗がつくられていた。
元旦から始まる大正月や、1月14日・15日を中心として行われる小正月には、こうした作物が良く実るように祈る呪法として、カツノキを粟の穂や稗の穂にみたててつくった。
 
とあります。
 
田舎だといわれた東京足立区でも昭和40年代には団地が沢山建てられ、そんな中で生活していた私には、すでに大正月、小正月なんて呼び名も・・・・。
東北出身の両親でさえ、正月だったら大晦日に正月飾りをしてはいけないとか、
正月には鏡餅を飾る・・・その程度、七草かゆなんかも食べる習慣がありませんでしたから、この様な飾りも全く知りませんでした。
 
逆に大人になって、特に東北の地方を多く廻ることで、その土地の風習などに興味を持って調べましたが
このアーボ・ヘーボは知りませんでした。
 
ネットで検索すると、例えば岩手県遠野の繭玉に近いものだと判りました。
 
今でも横須賀より南下した三浦市などは、自然が残っていますが
この地は、綿花も沢山つくっていて、三浦綿花として有名だったそうです。
 
最近では、健康食だと言って、稗や粟など高いお金を出しても購入する人がいますが
私の両親などは、やはり食べたくないといいます・・・麦ご飯でもいやだと言います。
普通にお米を食べられなかった時代を経験しているからですね・・・・
そんな鳥のえさを食べるのか・・・・と親父は良く言いますが
確かに、子供の頃に飼っていた文鳥にあげていました(笑)
 
私は、なんとも言えぬ食感が、大好きで、
岩手県北の二戸などで良く買っていました、横須賀にもどっても・・・やずやだったかな?
五穀米を毎日食べています。
でも、稗や粟だけを主食してするなら、やはり考えてしまいます。
 
アーボ・ヘーボ
食べることが大変だった時代、粟や稗も大事ですから、沢山収穫できる様に祈った気持ちは判ります。