今日、青山の歯医者に行った後、近くにある青山霊園を探索した。
実はこの前の神宮外苑を歩き回った日 も、その前に青山霊園をちょっと歩いたのだ。
歯医者の予約の時間までまだ時間があったので近くを散歩していたら、偶然青山霊園の入り口に出くわしたのだ。
勿論、”青山霊園”の存在は知ってはいたが、別に親戚縁者が眠っているわけでもなく特別関心がなかった。
ただ、いったん入ってみるとその大きさにえらい驚いた。我が先祖が眠っているイチ木更津の片田舎の墓場とは規模が違いすぎる![]()
霊園内にふつーに車道があってふつーに車が通ってるもんね。
その日は入り口近くにある霊園の管理事務所らへんだけを歩いたのだが、明治時代の軍人、野津鎮雄、野津道貫兄弟の墓には身震いした。
いや、正確には墓に驚いたというより、野津家之墓の脇にある野津鎮雄の顕彰碑の大きさにメタメタ驚いた![]()
3mくらい高さあるんじゃないかなぁ。その顕彰碑のおかげで、野津家之墓は霊園の入り口入って右向けばすぐわかる。
4月に下関へ旅した時、東行庵で高杉晋作の漆黒の顕彰碑 にもちょっと怖さの混じった驚きを感じたけど、この野津鎮雄のそれの大きさも威圧感あふれてる。
で、なんかその顕彰碑の脇に大砲の弾みたいなのも置いてあるんだよね。ワタシは野津鎮雄、野津道貫についてもその時は知らなかったんだけど、なんかスゴイ軍人の墓なんだろうなぁってのはわかった。
で、今日の探索なんだけど、今日は霊園の半分くらい・・・1時間くらい歩いたかな。
今日発見した偉人達のお墓は、大久保利通、川路利良、大木喬任、後藤象二郎、肥前鍋島家、筑前黒田家。
近代日本の最初の指導者大久保利通と大警視川路利良のお墓は、今『飛ぶが如く』を読んでいるだけに感慨深いものがあったよね。
特に大久保サァは、お墓の前に鳥居があってもう神様になられてた。
で、鳥居の前には大久保サァくらいの大物には当然の如く顕彰碑があった。で、結構珍しいの。青銅色で柱型なんだよね。
先ほど話した野津鎮雄の他、青山霊園内には小さいのも含めれば結構顕彰碑のあるお墓が多いんだけど、皆普通の石色(グレー色)だし、板型なんだよね。
鍋島家と黒田家のお墓は、旧大名家とあってか、まず敷地の大きさが違う。で、敷地の入り口には石の灯籠があったり鳥居があったりで、お墓も一つだけじゃなくその妻や息子の墓が周りにあり・・・もう一家でちょっとしたスモール神社を形成しているよね。
不謹慎な表現かも知れないけど、いやー、青山霊園面白い。
偉人って亡くなってもお墓から迫力が出てる。特に顕彰碑ね。ワタシ、なんか顕彰碑フェチかも知れない。読みたくても漢文なので読めないのが残念だが・・・
ワタシも顕彰碑作れるくらいの偉人になりたいなぁ、思った。