ご無沙汰しています。


この病気の患者の一例として、近況を書いておいた方がいいかと思い更新します。



昨年、病気の発覚から24年余りにわたって続いていた大学病院脳神経外科での経過観察を終了しました。


今後は、地元の病院で日常的なケアを最後までしていきましょうとなりました。



障害年金更新の葉書が届き、それを書いてもらうため脳外科の予約を取ったのですが、当日になって調子がよくなく(大学病院までは車で片道1時間以上かかるため)本人は欠席しました。


そのときに「無理をしてMRIを撮り続けても経過を観察することしかできない。できる治療もない。今後は…」という話になったようです。



自分の場合、16歳の夏に見つかった脳腫瘍(大孔部髄膜腫)がメインでした。


「目の前で生きているのが不思議」「いつ突然死してもおかしくない」と医師に言われるような脳腫瘍でした。


この腫瘍の摘出手術が奇跡的に上手くいって、目立った後遺症もなく、日常生活に戻ることができましたが、同時に、両側聴神経腫瘍もみつかり、経過観察が始まりました。


この24年、聴神経腫瘍に対し、手術や放射線などの治療は一切受けていません。


自分の場合は、腫瘍の形が「いびつ」だとも聞いています。


もう何年も前から脳幹が激しく圧迫されている状況です。


聞こえなくなったのは、30歳を過ぎてから。


首、胸、腰の脊髄にも腫瘍はあります。



ちなみに、障害年金は、これまでの2級から1級9号になりました。


耳で申請すればもう何年も前から1級なのですが、あえて肢体不自由で申請しています。



身体は、それ相応の状況で、なんとか工夫して仕事の手伝いを今もさせてもらっていますが、『日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる程度』というだけあって、ひとりでトイレにもいけないし、ベッドにも移れないし…


最近も、ひとりで留守番をする機会に『レスパイト入院』をさせてもらいました。


入院中は、オムツをしてもらっていました。


自宅でもトイレは使わず、オムツを使うことをすすめられています。


もちろん、自分で脱ぎ履きすることはできません。



そういう状況です。



20年前は大学病院でもこの病気を知らない医師がいましたが、今は街の小さな病院の医師でもこの病気を知ってくれていて、時代の流れ(変化)を感じます。



この記事はペンを口にくわえて打ちました。



追記


ちなみにこのときの大学病院脳神経外科の医師によると、自分の状況は(がんではないけど)、「末期がん」として介護保険の対象となるそうです(介護保険法第7条第3項第2号→同施行令第2条第1号)が、まだ介護認定は受けておらず、当面は障害福祉サービスを受けるつもりです。