産まれた時から家は

「創価学会」 

に入会をしていた。

私も産まれてすぐに入会

私の中では絶対の事。
100% 創価学会で占めていた。


小学生の頃のいじめで
初めて学会での教え
「お題目」を唱え
『いじめられませんように』
との想いを祈った。

小さな心は
必死だった。

次の日学校へ行くと
いじめていた子達から話しかけてきた
私は嬉しかったのと同時に

「叶った」

と、絶対的確信になった。


今思えば、
何の抵抗もなく
ありのままの願いを
おもいっきり強い感情で
感じ祈っていたんだと思う。


純粋な子供心
疑うとか
そんな気持ちは一切なかった。


これをきっかけに私の中には
祈りがあればすべて大丈夫
と。


自信の無かった私は

自分という存在を置いてきぼり

創価学会を主とするようになった。


ここで、創価学会を批判する訳ではない。
創価学会が間違った教えをしているとも思わないし、

宗教を批判するつもりもない。

自分の哲学として、宗教を持つことは
人それぞれの捉え方であり、
素晴らしい事だと思っている。


ただ、
自分軸があっての「宗教」が
正しいのだ。

学会もそれを教えているが

私は
自分という存在を否定しつつも
創価学会軸としてしまっていた。




しなければならない。
頑張らなければならない。
やりたくない事でも、しないと。
幸せになれない。


自分に自信がなかった事で
こんな風に
間違った思い込みとなっていた。


自分を知るという事
そんな意識なんて
私にはなかった。





今思えば、
よくがんばってたなって。

でも「祈る」事で
「お題目」をとなえていた事で
安心感を感じていたんだと思う。

私は大丈夫だ
これで幸せになれる。
守られている。

どこか心地よかったんだ。



結局いい子ちゃんやったな
祈る内容も
44年間…

それも今までの「私」。

今はその頃の自分の熱意、根性、純粋さを
尊敬している。

そして
創価学会からは離れた。



これからは
私は私で生きていきたいんだ
私をもっと知りたい
私とはどんな存在
本来の私は
何を思って
何を感じているの?
自分の力を知りたい

光も闇も

すべてを正解とし
愛してあげたいんだ。