ブログネタ:死刑について考えてみる 参加中

最近死刑の話題が多いですね。

私は、高校の時大学の推薦入試の小論の練習で
死刑について書いたことがあります。
そのときは、人を殺めたら死で償ってほしいと
考えていました。

でも、今は違います。
こんな言い方変かもしれないけど
例え、身内を殺されたとしても私は死刑をのぞみません。
なぜなら、メディアの報道の仕方もあるのかもしれないけれど
今は自分の犯してしまった罪の重大さを知らない人がいるのも事実。
自分の罪の重大さをしらないまま死なれる方がずっと悔しい。
私はまずは、自分の犯した罪の重大さを十分に認識して欲しい。
そして、こころからの謝罪を求めます。
死んでしまったら、そこから何も感じないけれど
犯罪をしたという過去を持ちながら生きていく方が
辛いことだと私は思います。

裁判員制度が始まるのも秒読み。
専門家でない私たちが、例え罪を犯した人であっても
一人の人の人生を決めてしまうのです。
考えてみただけで、心がもやもやします。

それと同じように人を殺した人にも思って欲しいです。
人の人生に土足で踏み入ることの罪の重さを。


もう一つ思うのは、厳罰化が本当に正しいのかということです。
最近、何の根拠もなく「死刑がなかったら、殺人事件は起こらないのではないか」
と考えることがあります。

死刑といっても、広い意味では殺人です。
罪を罪で罰する社会。
死刑があることで、人を殺すのはいけないことという概念は
普通に生きていれば作られていくものです。
「だめといわれるとやりたくなる」という心境のように
まれに、ひねくれものもいます。
また、死刑は殺人の正当化だと考えるなら
理由があれば人を殺してもいいと考える人がいても
おかしくはないのではないでしょうか。
現に、「人を殺してみたかった」「何かもやもやした」という
不可解な理由を言う人ももしかしたらその人の中では
正当な理由だったのかもしれません。

死刑があったら殺人は起こらないおもしれないとは
結局は結果論かもしれません。
死刑がなかったら、本当に殺人は起きないという保障はどこにも
ないし、むしろ、殺人が起きたから死刑制度ができたんでしょう。
でも、間違ったことを違う、だめだということよりも
正しいことは何なのかを教える社会であるべきだと私は考えます。

もうひとつ、付け加えたいことは
加害者自身も被害者であるかもしれないということです。
それまでに関わった家族や学校、社会の中に
彼らの人生の中に人を殺すという選択肢を選ばずにすむような
そんな人がいれば、彼の人生も変わったのではないかとも思うのです。