人を愛する事がどんな事だったのか

わからない。


情熱的に興奮気味に

誰かを求める。

「決して怪しい者では有りません」

と近づいて、仕留める。


恋愛に何の意味もない気がして来た。


私は朽ちる。

そしてその次はない。

朽ちて枯れた、そこに、誰の温もりも残らない。


いつか、60歳前の男性の枯渇した叫びを聞いた事がある。

まだ、人生に不安も希望もない頃。

生活の灰汁が染み付いたスナックで

「俺は、夜、寝る時、自分の泪で目が覚める。

孤独で、身がよじれて、オイオイと声をあげて

泣く。」

皮膚の分厚い右手で

焼酎の水割り入りのグラスをしっかり掴んだまま

カウンターしかない狭い店内の隅で、

地に足もついていない

私に向かって

60歳前の男性は、

カウンターのテーブルを酔った目で睨んで

そういった。


彼は、離婚経験があり、子供はもう自立していて、

だだっ広い家に独り暮らしている。


彼の背景を知ったところで、

私には同情できるほどの

人生の苦を舐めていなかった。



それを思い出す。

時々。

それを繰り返し思い出す。


なぜか、ますます。

人など

人など

愛すまいと思う。


散るのが美しいのは花だけだ。


もう一度

私の目が見えますように。

もう一度

私の足が歩けますように。


常に痛みを伴って生きる。








S と M の見分け方。


始めに。

偏見である。


体型が、痩せ型の人はM

体型が、肥え型の人はS


父親がMの男はM

母親がSの女はS




である。



仕事がら。

野菜栽培士の勉強に励み。

今月、認定書が届きますw


合格だw


人生。勉強。


次は、野菜ソムリエだそうだw


その前に、ハーブコーディネーターの勉強にも励んでおる。


来月に合否がでるのだが・・・・。


なんか、受かると嬉しいものであるw


前向きに頑張っている一面もありw



心の柱を
涙の温かさを忘れてた
ぎざぎざのノコギリで
2mm程の深さに
至る所、傷つけられているこんな状態になっている事に
彼から離れて半年過ぎた
今
気が付いた

その溝は
きっと彼にしか埋め合わせる事ができないのだろうと思う。

一緒にいられた時は
傷つけて
埋められていた
その一連の流れに
居心地の落ち着かない気さえしていたのに


跡は聞くの
そこまで、果たして深く愛し合ったのか?と

独りよがりに美化してしまってるのではないか?と

私は言う
そうだとしても
結局は孤独だもの
と

思い出を具現化させ
気持ちを張り巡らす
止まらないシーソーの様にどちらにも
偏れない
定まれない
不安定な過去を
先に歩かせる


それは
それは
長い長い河の様に続く
思い出の未来



〆

ウツやノイローゼになるので。

あまり、考えない事にした。

深く、深く、考え込むことが、大好きだが、

その先に、あったのは、いつも、明確ではない画像ばかりだ。

モヤモヤとして、頭痛がして、やりきれなくなって、自虐的になる。

そこに、生産的な環境はなく、ただ、灰汁や落胆や絶望しかない。

例え、前提は、漸進的で煌々とした未来を考えようと思っていた所で、

現在の自分は、そうでは、ないのだ。

朗らかに、明るく、ケタケタと笑っているためには、

あまり、考えない事だ。


でも、きっと、この先も

『相変わらず病んでんな。』と言われる事に

違和感も苛立ちもなく、受け止められるだろ。


変えたくて変わることのない箇所は

きっと、自分がしがみついたアイデンティティなのかもしれない。