今日は体調不良と思いながら配達したのでハードでしたが、終えたので、一安心です

熱はなくて、結構、服装は着込んでいるのですが、悪寒がします

午前中に病院で、レントゲンをとりにいこうと思っています

 

スピリチュアル的なこれから・・・みたいな話 

 

いろんな人がいろんなことを言うので、私はいろいろ見聞きして、それらを鵜吞みにする・・・というよりは、参考にはしつつも、一つ自分はこう思うというのを作れば、そういうものにもそんなに必要以上に振り回されないと思っています 

私は今現在でも少し見えてきていますが、やぎ座の時代というのが、人というのが組織の部品みたいにならないといけなかったところがあるので、ちょっとしたマニュアルみたいなのがあったとして、個人個人はそのマニュアルにいかにあてはめるかが理想だったと思っています 

そういったところから、みずがめ座の時代は、人が個性を思う存分に発揮して、それぞれの個性を互いに認め合って絆を構築して、協力したそのまとまりで時代を動かしていく・・・と私は思っています

 

今日の私のスピリチュアル的な話・・・ 

 

昨日にやぎ座の時代がこうだった・・・それでみずがめ座の時代はこうじゃないかな?というところの自分なりの見解をポストしました 

それに関連するところで、今日にひらめいたことなんですが、”出る杭は打たれる”という言葉があると思います、その言葉から思い起こされるところで、考えが浮かびました

 釈尊というのは時代さえ超越している人と思いますから、釈尊みたいな人というところで、たとえ話的にお話ししたいと思います 

私はやぎ座の時代というのは、釈尊みたいな人というのは、いくらすごい人であったとしても、マニュアルの型にはおさまらない言わば”出る杭”ということで、お経にもありますが、嫉妬心みたいなところで、”殺された”時代というところもある気がします 

それがみずがめ座の時代になると、釈尊みたいな人というのは、すごい人というところを認めて”活かす”時代と思います 

今はそういうところの移行期みたいなところで、釈尊みたいな人とか釈尊側にいる人はそういう憂き目にあいやすい気がします 

ですが、お経でもありますがこういう段階って、本当のゴールの前の頑張りどころかもしれないです 

ピンとくる人は、釈尊側なので、釈尊が味方してるぐらいに思って、粘り強く取り組んでいいんじゃないかな?と思います 

少なくともかくいう私がこういう風に思うことにして踏ん張っています(笑)

 

体調不良ではあるんですが、一昔前の見えない剣がグサグサと刺さる感じがあった時よりはまし・・・と思って耐えてますが、安静にはしています

ちなみに見えない剣がグサグサみたいなのは、地元の神社の神主さんに相談してお祓いをしてもらったら、嘘みたいに治って、びっくりしたことがあります

 

私は霊媒なので祓っても祓っても、次から次に拾うらしいです

こういうのは、どうしようもないので、気にしないようにするように言われてます

だから、最近はなるべく霊などはわかりませんとするようにしてます

ですが、あまりしんどいと、やはり気になってしまうような気がします

 

ちょっと触れたので、小話すると、こういう霊というのは、運気を落とすらしいです

だから、霊媒の人はなるべく運気を上げるようなことをしたり、徳積みをしたほうがいいと思います

 

私が見知った話だと、霊媒の人によっては、他の人が持っている”厄災”ごと吸収してしまうとか

神社仏閣などにこういう人がいると、参拝者の厄災を吸収して、自分自身は体調不良になるらしいです、ただ参拝者の目線からすると、ああ、この神社仏閣は、厄災よけに効果がある・・・ということになって、神社仏閣自体は繁盛するらしいです

 

私は修行癖みたいなところで、いろいろ言われることもあるんですが、自分の体質上それを受け入れて、そういう生活をせざるを得ないと思っています

 

私は占いでムードメーカーとか出たりしますが、それは私の近くの場に存在する悪想念とか邪念などを吸収するからじゃないかな?と思うところはあります

 

今につぶやいていて分かったことして、私は若い時は、こういう働きが自分の中でほぼ100%以上を占めていたような気がしたので、一般就労どころか作業所でも仕事をするのは余力とかが全然なかったので難しかったです

今に一般就労ができるみたいなところは、霊的なところにあまり意識をしないようにしてそこに占める%みたいなところを落として、仕事ができるぐらいの余力を作っているから・・・というところはある気がします

それでも今日みたいに仕事を休まざるを得ないような日は出てくる気がします

 

人によっても症状みたいなのは違うと思いますが、私は最初の10年ぐらいは、寝床でただ苦しんでいるだけで何もできなかったです 

 

長い年月をかけて、自分の状態を観察したり、医師に相談して、少しずつやっていって今に至ります

 

私は反対側を煽るようなことをすることがある気がするんですが、一応の役割としては、戦闘系聖職者と言われることもありました
釈尊みたいな存在というのは、それは”非戦”です
ただ私はそういう存在を守護するために、戦う役目をすることもあるらしいです

 

私は病気が治らないかな?というところで、荒行みたいな事をすることがあります、一つ思い出したところで、真夏の物凄く暑い時に、太陽の直射日光を頭頂部に当てて、庭で座禅を組んで瞑想していたことがあります

そして、集中力が物凄く高まった時に、全然熱くなくなったんですよね

その時に、ああ、こういうことが心頭滅却すれば、火もまた涼しということなのか?と思って、しばらくして集中を解いて、我に返ったら、それは当たり前なんですが、目の玉が飛び出るぐらい火だるま状態で、本当に体が燃えてる・・・と思えました

幸いなことに、家に水風呂をためてたので、一目散に飛び込んで無事でした 

そんなことするから当たり前といえばそうなんですが、 顔にしみまでできてしまって、後悔しました

 

見えない剣については、超魔術みたいな気功術かなにかの本で”剣仙”ということで、私は知りました

ただこういうのは物凄く謎めいていますし、ひょっとしたら危険な側面もあるかもしれないです

見た人でひょっとして興味を持つ人がいたとして、いろいろする人がいるとするなら、こういうのは私はどういうふうになっても責任は持てないので、自己責任でお願いします

 

一応、鑑定を受けてみました

すると、私は信仰もあるので、”怒らない”というのをかなり長い期間続けています

ですが、それが潜在的なところにかなり蓄積して、心身の不調というところであらわれ始めているらしいです

憎しみとか悪口とか不満などのネガティブなところを紙に書いて、燃やしてください・・・とのことでした

私も直接的に人にぶつけるぐらいなら・・・というところで、そういうところをやってみて、解消しようと思いました

 

ありがとうございます✟

 

 

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