光る君へ



宗の国とは


唐の滅亡



李克用ー異民族対策のために国境に置かれた 

    軍の司令官


朱全忠ー困窮している民が黄巣らを中心に乱を

    起こす(黄巣の乱)が、李克用に破れる。

    この乱に参加していた朱全忠は、

    途中で唐を裏切る



その朱全忠が悪名高き宦官を抹殺してしまう

また、助けを求めてきた官僚たちも殺害

帝(昭宗)までも殺害してしまう。



自ら帝位に就き

梁(後梁)を設立 ー 唐の滅亡

後梁の太祖と呼ばれる。




この後梁は長く続かずこれから、

五代十国の戦乱になっていく。

クーデターの連続で全く国がまとまらない時代



五代ー後梁→後唐→後晉→後漢→後周

十国ー前蜀・後蜀・呉・南唐・閩・楚・荊南・

   南漢・呉越・北漢




後周の名君世宗が39で病死

惜しいかな名君の病死

次の恭帝は7歳

趙匡胤(ちょうきょい)が選出される。

宗の太祖となり、

宗の国が成立する(960年)




繰り返すクーデターから

中央集権・官僚体制が確立され、

貨幣経済や日宗貿易が盛んになってきた。

ー日宗貿易は平清盛のころに最盛期




科挙もさらに発展していった。

随や唐の科挙は、

帝をも蔑ろにする地方の貴族どもに対抗するには

中央から、

科挙で選定された優れた人材を補給して

地方の荒くれ貴族を収める役だったが、

宗の時代の科挙は、

クーデターの時代から文官の時代に移行

してきた時代

国を治るというもっと大きな役割があった。

能力のある者が夢を見られる

(但し、女性は受験不可だったが)




960年の宗の太祖から始まり、

980年ころ中国統一される。



まひろが夢みた宗はこの頃である。



宗はその後、

女真族、モンゴルから攻められ滅亡していく




ドラマでの

朱仁聡: 史実上の実在した宗の商人で、朝廷や道長

   を通して取引をした。



周明: フィクションの人物で、まひろに一緒に宗へ

   行こう!と誘うが。

   ただ、後に隆家が目の病気を煩い

   太宰府に宗の医師の元へ治療にいく 

   その医師が周明とするのだろうか。






宣孝の求婚ーネタバレもあり



笑っちゃう!

父のかつての同僚で遠い親戚のおじさん

妻は3人に25歳になる息子がいる(まひろ26歳)

宣孝の後継者は隆佐(たかすけ)

他に母違いの頼宣、隆光(25)

妾も数人

求婚した同じ時期に

近江守の女にもアタック中だった噂あり。



確かにモテモテで仕事もできたようだ

今の警視総監みたいな地位で実力者




それらを知っていて、

まひろは数々の宣孝からの手紙への返信に

かなり、冷たく返している。



ただ、女性からの返信というのは

冷たく返すのが普通で

返信すること事態が脈ありということである。




宣孝の浮気心をなじった和歌を返信


琵琶湖の千鳥になぞらへて、

もっと他の湊へ声をかければ良い!



そんな、冷たい!

私の涙は朱に染まっている



朱の色はすぐに色あせ

移ろいやすいあなたの心を映し出している



実は脈ありで、

和歌を楽しみながら

恋の駆け引きをしているかのよう?


全く脈無しならば、

無視すればいいだけなのだ。



急な求婚でOk してしまったのか⁇



まひろを取り巻く環境として、

越前に同行していた弟の惟規(のぶのり)が

病になり、亡くなってしまった。



紫式部には姉がいて(ドラマでは出てない)、

越前の赴任前に亡くなっている。




また、友のさわも!!!!

越前と筑紫の国とで和歌のやり取りを

楽しんでいて、

再会をお互い楽しみにしていた。




心にぽっかり穴が空いた時期の

タイミングが寂しい時だったからか⁇⁇



今なら、

気持ち悪い!か、財産目当て!

で、終わってしまう話かも?




ここからは、我の妄想


まひろは都に戻りたかった。

恋焦がれるあの人がいる都に!!



その人との子を身籠ったことを

隠すため

求婚を受け入れた。




史実では、

仲睦まじい時間もあったようだが。




まひろは女の子賢子を999年に出産



それから、

宣孝は紫式部の元へは通わなくなった。

予想通り。




紫式部からは、

寂しいという和歌を何度か送っている。



 しののめの 空霧わたり いつしかと

   秋のけしきに 世はなりにけり



夜明けの空は霧わたり

いつの間にか秋になりました

同じようにあなたも

私に飽きてしまったのね




やがて、

宣孝は疫病にかかり亡くなる(50歳前後)

本当に疫病かは⁇




宣孝の補足

舞がとても上手かった。

行成の日記 権紀には、

調楽: 賀茂臨時祭での殿上での舞は

甚だ絶妙であったと記されている。



派手好きで、ユニークで明るい人柄

まあ、こうゆう人いるよね!





源氏物語




第14帖 澪標(みおつくし)



和歌

みをつくし恋ふるしるしにここまでも

めぐり逢ひけるえには深しな


数ならでなにはのこともかひなきに

などみをつくし思ひそめけむ



明石の方と交わした和歌に因んで、

みおつくしという巻名である。





光源氏28歳10月から29歳冬の話



罪を許された光源氏は都に返り咲き、

蟄居前の官位右大将から大納言へ昇進




参内の日を迎えた

清涼殿へ行き、兄朱雀帝と3年ぶりに再会

兄弟水入らずの時を過ごし、

その後東宮と再会

長男・夕霧は殿上童として東宮に仕えていた。




東宮が元服を迎えたのを期に、

朱雀帝は位を退き冷泉帝へ譲位した。




源氏は内大臣に昇進し、

政界を引退していた左大臣が

太政大臣を任じられ摂政に就任した。



一方明石の御方は無事姫君を出産、

源氏は将来后になるであろう姫君のために

乳母と祝いの品を明石へ送るが、

そんな源氏の姿に

子のない紫の上は密かに嫉妬する。




秋になり、

源氏は住吉へ盛大に参詣した。



偶然同じ日に来合わせた明石の御方は、

そのきらびやかな様子に気おされ、

改めて源氏との身分の差を思い知らされる。




藤原惟光の知らせで御方が来ていたことを

知った源氏は、

声もかけられずに去った御方を哀れに思い、

使いを送って歌を交わした。




その頃六条御息所

娘の斎宮共々都へ戻っていたが、

御息所はその後病に倒れ、

しばらく会わずにいた源氏も見舞いに赴く。




死期を悟った御息所は

源氏に娘の将来を託し、

決して愛人にはしないよう釘を刺して世を去った。




源氏は斎宮への未練を感じつつも、

御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。




朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、

源氏は藤壺の助言を得て、

斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。





つづく