光る君へ





7日関白



4/27: 関白の宣下を受け(道兼)

5/2:   天皇に慶賀奏上で倒れる

   関白になりましたありがとうの御礼儀式

5/8死去: 天皇に奏上した時から7日で亡くなった

   この短い期間だった関白ということで、

   7日関白と言われる



この時期、疱瘡が蔓延しており

参議も8人も疫病で亡くなっている。

おそらく、道兼も疱瘡?



栄花物語(赤染衛門-倫子サロンの先生の人)では、

伊周のおじいちゃん高階成忠の呪詛によるもの

と書かれている。



源氏物語の原点

諸行無常

ーーーーもののあわれーーーー

良きことも、悪きことも

全てを無にして、成仏なされ


権勢を誇った栄華なこと

悪事を働いたりした醜きことも

人生のはかなさよ❗️



まひろが執筆した源氏物語の源流は、

この“はかなさ”

ということが流れているのかもしれない。

と、我思う。




朝顔の あしたの花の 露よりも

   あはれはかなき 世にもふるかな



人生って、短いよねという歌である

         ー続古今和歌集より



道兼の息子

兼隆の元服を道長が加冠役を務める(長徳元年)

紫式部の娘賢子と結婚するが、すぐ別れてしまう

(さあ、紫式部は誰と結婚するでしょうか?)

(ありえなーーい❗️って、なりますよ)

(ひょっとして、

これはカモフラージュするためかもよ)

なんて、独り言独り言!





糖尿病の悪化で亡くなった道隆の息子には、

高階貴子が産んだ息子(伊周、隆家)以外に

4人おります。

藤原守仁の娘が産んだ道頼、頼親

他に周家、周頼がおります。



当時のお酒は糖分たっぷりの濁り酒で、

貴族は糖尿病を患う方々が多かったとか。





敵が多い伊周について

定子の兄上であり、教養も高く、

笛を奏でるのがうまかった伊周が

一条天皇はお気に入りだった。



が、

詮子は大嫌いであり、周りの公家衆からも

敵視されていた。

苦労知らずの出しゃばりボンボンが、

生意気に!

という感じかな。



なんせ、17歳で蔵人頭

991年には、参議になり公卿の仲間入り

8ヶ月後には権中納言

 権とは定員オーバーの時に臨時で追加で就く

992年、権大納言

 道長を位を抜いてしまう

994年、内大臣(21歳)




この伊周が大変な事を起こしてしまう!

長徳の変である。


この長徳という年号は正暦から改元された。

長徳は村上天皇のときに提案された年号であった。



お楽しみに!



ちなみに、

上から役職について


摂政ー天皇が幼い時に成人まで、

   天皇に変わって職をする

関白ーあくまで、天皇の補佐でアドバイザー的職

   參議には出席できない

   内覧は仕事内容は同じだが、參議に参加可

   なので、道長はあえて関白にはならず

   内覧職で良いとした。


太政大臣

左大臣

右大臣

内大臣

大納言

中納言

參議


結局、伊周は若すぎたうえに

高い社会的地位には義務が伴う

という、西洋でいう

ノブレス・オブリージュ


そんな教育もなく、

貴族社会の事情も無視して

先例を無視して

自分の美意識だけで強引に勧める


そりゃ、敵を作るわ❗️





源氏物語


第11帖   花散里(はなちるさと)



光源氏25歳夏の話


五月雨の頃、

源氏は故桐壺院の妃の一人

麗景殿女御を訪ねる。



妹の三の君(花散里)は源氏の恋人で、

(花散里の姉は、光源氏の父・桐壺帝の女御)


姉妹は院の没後

源氏の庇護を頼りにひっそりと暮らしていた。




訪問の途中、

かつて会った中川の女の元に歌を詠みかけるが、

既に心変わりしてしまったのか

やんわりと拒絶される。



女御の邸は橘の花が香り、

昔を忍ばせるほととぎすの声に

源氏は女御としみじみと昔話を語り合い、

その後そっと三の君を訪れた。





追加解説

三の君を訪ねたときは、

彼と朧月夜との密会騒動が大きな問題に

なってありました。



彼は自ら都を離れ、

須磨(兵庫県)で謹慎することを決める。



会えない寂しさを三の君は和歌でしたためる。


荒れまさる 軒のしのぶを ながめつつ 

   しげくも露の かかる袖かな



荒れていく軒の忍ぶ草を眺めて

昔を偲んでいますと、

涙がしきりに袖を濡らします。



光源氏は女御に花散里の邸の修理をさせ、

31歳の時に別邸である二条東院が完成

花散里はここに迎え入れられた。


大切な紫の上同様に気を配ったのだ。


さらに数年後、六条院が完成


春夏秋冬の町があり、花散里には

夏の町に住まわせた。


長男の夕霧が12歳で成人した後、

花散里に教育を託して預けた。

(夕霧の母は紫の上で、出産してすぐに亡くなる)


また、源氏が引き取った玉鬘(たまかずら)も

花散里は喜んで引き取ったのであった。



花散里は裁縫や染め物が得意な女性で、

紫の上とも親しく接していた。

光源氏も息子も癒しを求めていつやって来ても、

優しく迎え入れてくれたのだった。



紫の上が亡くなった後、

花散里とも疎遠になってゆくが、


花散里は夏になると、

源氏の衣がえの装束を準備し、

歌を添えて贈るのだった。










つづく