光る君へ



香炉峰の雪はいかがですか?



香炉峰の雪はすだれをかかげて看る 



唐の詩人白居易(白楽天)の漢詩


遺愛寺の鐘は枕にそばだちて聴き   

香炉峰の雪は簾をかかげて看る

の場面



白居易が仕事で香炉峰、江西省廬山(ろざん)

の深山幽谷の地に左遷されて、

腐るのではなく、

なかなかのんびりできて

こうして雪を眺めているのも

良いではないか!




ドラマの清少納言は

自信家で鼻につく強いイメージを受けますが、

実際は、人前に出るのも恥ずかしく

中宮定子の前にも、夜しか

顔を出せない感じだったようですね。



中宮定子は母、高階貴子の深い教養と

有名な歌人の血を受け継いだ知己にとんだ

定子であった。



外は雪で寒く、格子を下げて

すだれも降ろして、

女御たちが暖炉を囲んで、

内にこもっているところを



香炉峰の雪は〜

と、投げかけ

清少納言に格子とすだれを上げさせて、

内にこもってないで、

どんよりムードを

粋な計らいで場を変えさせた。



知性高き、謎かけを

見事に返答した清少納言!!





悲田院


もともと聖武天皇の后だった光明皇后が

開設した施設


993年の疫病

原因が特定できなかったようだ。

インフルエンザとの説あり

まひろも苦しんでいましたね。

道隆、道兼も罹患します。




994年の疫病

疱瘡(天然痘)だったようです。

九州から流行して、全国に広まる。

都の半分くらいが亡くなることになった。

貴族もぞくぞく亡くなります。




この時の疫病は、

藤原四氏ー房前、麻呂、武智麻呂、宇合が

亡くなり、

奈良の大仏建立のきっかけになった以来の規模

でした。




ここから、ドラマも転回します。

中関白家の道隆は⁇

道兼はどうなる⁇

注目ですね




そして、

一条天皇の


〝隋が滅びたのは、兵の備えを怠ったから

ではない。民をおろそかにし、

徳による政を行なわなかったからである”


朕はそのようになりとうはない



これは、『貞観政要』

唐の第二代太宗皇帝(598~649)

の言行をまとめたもので、

「帝王学の書」と呼ばれるものである。



大江匡衡

源倫子のサロンでおなじみの赤染衛門

(ドラマでは、凰稀かなめ)

の夫による『貞観政要』の講義を

一条天皇は受けた

と記録されています。




のちに、

鎌倉時代の金剛(北条泰時)が読み、

『御成敗式目』を制定することに繋がる。


徳川家康もまた『貞観政要』の熱心な読者

でした。



現政治家の誰が熟読しているか⁉️





源氏物語


第8帖  花宴(はなのえん)



如月に紫宸殿で催された桜花の宴で、

光源氏頭中将らと共に漢詩を作り舞を披露した。



宴の後、

朧月夜(おぼろづきよ)に誘われふと

入り込んだ弘徽殿で、

源氏は廊下から聞こえる歌に耳を澄ます



照りもせず 曇りも果てぬ 春の夜の  

朧月夜に似るものぞなき



源氏はその歌を詠んでいた若い姫君と

出逢い契りを交わす



素性も知らぬままに扇を取り交わして

別れた姫君こそ、

春宮への入内が決まっている

右大臣の六の君(朧月夜)だった



右大臣家の藤花の宴に招かれた源氏は

装いを凝らして訪れた



右大臣にかなり呑まされ、

酔いを醒ますためその場を離れた源氏



偶然通りかかったところで、

御簾のうちにいる六の君を発見



歌を詠みかけるが

事情を知らない六の君の姉妹たちは

「おかしな高麗人がいるものね」と

いぶかしがる




ついに見つけ出した、

源氏はさりげなく姫君の手を握った







つづく