光る君へ




藤原道兼の最後でしたね。



3兄弟の三男の道兼

長男伊尹(これただ)と次男兼通は対立



兼家は伊尹に味方する。

伊尹関白が亡くなり、次男兼通が関白になるが

すぐに亡くなってしまう。



次の関白は兼家かと、

思いきや!

兼通は叔父に関白を譲ってしまった。



兼家は治部卿でよしとしておこう!

ということで降格処分される。



この悔しさから、

政治のトップになることを

目指す兼家



兼家の娘の詮子を円融天皇に入内させて、

天皇の子、やすひと親王を産み

その子が、一条天皇として即位する。



もう一人の娘超子を

冷泉天皇に入内させて、

居貞親王を産み

次期天皇とした。



冷泉天皇の子、花山天皇を騙して

出家させて天皇の座から

引き摺り下ろした寛和の変


などなど

藤原一族の繁栄のために

策略を尽し、

政治のトップとして

権力を振るった人生だった。



兼家の

最後の和歌が良かったね(ドラマ上)


蜻蛉日記の和歌を歌ってあげるとは❗️



嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は

   いかに久しき ものとかは知る



嘆き哀しみながら、一人夜を過ごす

夜が開けるのが、どれほど長く感じるか

あなたはご存知なのでしょうか?

ご存知ないでしょうね!

ー藤原道綱の母ー



あぁーー、私の蜻蛉日記を読んで

くださっていたのね。



何とも、ドラマチックでいいシーンでは

あーりませんか❗️



実際は、この兼家の最後のときは

完全に夫婦として別れていて、

藤原道綱の母は京都郊外でひっそりと

住んでいたころ。



ドラマではあえて、最後の場面まで

道綱母を引っ張っていたのは、

このシーンを描くためだったか!!

やるねぇーー‼️

ジーンとくるところでした。




紫式部も夫を待つ

寂しーい気持ちを和歌にしてますね。



秋風の うち吹くごとに 高砂の

   尾の上の鹿の 鳴かぬ日ぞなき



秋を飽きると掛けている

飽きられた私の泣かない日はない





清少納言もバリバリきますよ!

清原の娘で父の職が少納言だったことから、

このような呼び名であるのです。



これから、紫式部とのバチバチの関係が

わくわくする。

紫式部はあまり、清少納言のこと

好きではなかったと思われる。

度々史実に残っている。



時代は次のステージへ

兼家の後を継いで関白になった道隆


娘の定子を一条天皇に入内させて、

道隆独裁政治を行っていくことに!


定子が入内して3年後に

世話役として就いたのが

清少納言だった。



さあ、これからの独裁ぶり

あっけなく・・・

道兼まで

ドラマに注目です!




源氏物語

第5帖   若紫



光源氏18歳3月から冬10月の話



瘧(おこり、マラリア)を病んで加持(かじ)

のために北山を訪れた源氏は、

通りかかった家で密かに恋焦がれる

藤壺(23歳)の面影を持つ少女(後の紫の上

を垣間見た。彼女は藤壺の兄の娘で、

母が早くに亡くなったため、

祖母の尼君の元で育てられた。

源氏は少女の後見を申し出たが、

結婚相手とするにはあまりに少女が幼いため、

尼君は本気にしなかった。


病で藤壺(23歳)が里下がりし、

源氏は藤壺の侍女の手引きで再会を果たした。

その後藤壺は源氏の文も拒み続けたが、

既に藤壺は源氏の子を妊娠していた。


一方、北山の少女は都に戻っていた。

尼君が亡くなり、身寄りのなくなった少女を、

源氏は自らの邸二条院に連れ帰り、

恋しい藤壺の身代わりに

理想的な女性に育てようと考えるのだった。



つづく