ROCKWAVE SHAPER 岩波重之のブログ -38ページ目

僕の想い。

先ずは昨日はなみある?から配信しました" SURFERS' AWARDS 2011 - a tribute to TOUHOKU SURFERS'  " を視聴して頂いた皆様、どうもありがとうございました。

いろいろ失敗も多く反省の絶えない昨日から今日ですが、次にはもっと良い配信をしますのでまた是非お付き合い下さいね。


朝から晩まで七里ケ浜のなみあるサテライトスタジオで過ごした僕の311でしたが、この数日は昨年からの事、今、そしてもっとずっと昔の事まで色々思い出していろいろな気持ちになっていました。

まとまりのないブログになると思いますが書いてみようと思います。





僕と福島の関係、僕の仙台の関係。

もちろん仙台のメグちゃんを始めとしたボディボーダーの仲間達、繋がりから仕事をご一緒したりしている金子さん、福島の林さんや宮崎に移住した弘君、そして吉田さんなど、今の仕事を通じて知り合い、今もお付き合いさせて頂いている皆さんがあります。

でもそのずっと昔のこと。




僕がまだ2歳くらい?の時から福島の海が僕にとっての「海」でした。



夏休みのお盆シーズン。
兄貴と一緒にいつもの床屋さんで髪の毛を切ってもらい、家に戻るとオヤジが車(デリカでした)の後ろにベッドを作っていて、兄弟3人そこで寝ながら出発。
朝目が覚めると車は峠道を走っていて、窓の外みると森が見えて。

そうしているうちに毎年お馴染みだった宿、石屋旅館に到着。ちょっとした山道の途中、向かい側にはセメント工場。裏には山があってアリジゴクの巣があったり、池にはたくさん鯉が泳いでたり。裏に回ると風呂がのぞけるって兄貴に連れられて行っていたけど、まだお袋と風呂入っていたからよく分からなかった(笑)

旅館の娘がどーにも気に入らなくて毎年ケンカしたりしてた。そして海は四倉から豊間に向かう道の途中だったとオヤジに聞きました。河口があって、水が冷たいと汚い川の中で遊んだ記憶があります。蛤がでかくて山ほど取れてBBQしたり、浮き輪で遊んでると潮が早くて流されて大人に助けてもらったり、子供達みんなでゴムボート乗せられてロープで大人がビーチから引っ張ってるんだけど、波で転覆して放り出されたり。その時はボートの下敷きになって死にそうになったも覚えてる。


オヤジが自分で作ったサーフボード、確か黄色と水色があったんだよな。(オヤジが還暦でまたサーフボード欲しいとき水色が良いって、この色好きなんだなって今気付いた。。)
まだパワーコード(リーシュコード)も無し、ウェットも両面スキンのショートジョンで雪の中入っていたという時代だったようです。

そのビーチでの数少ない写真。




パンツでかい(笑)







そして仙台にはおじいちゃんが売ろうとして売れずに結果別荘と呼ばれていた山の中の小屋がありました。よくじーちゃんばーちゃん、そして家族で行ったんだ。

周りには何もなくて、新川?って川が裏にあって、水が飲めるくらいキレイで近くにはウィスキーの工場があった。数百メートル離れたとなりのタバコ農家の肥料からミミズもらって裏の川で釣りすると30センチ越えるイワナが入れ食いでね。熊が出るとか狐がいるとかもあったな。

夜になって気付いたら長男が居なくて探しに行ったら、裏の崖を登れずにじーっと立ったまま泣きもせず上を見ていた事件とか懐かしいな(笑)呼べよ!って感じなんだけど、そう言う兄貴です(笑)


家の前は緩い坂になっていて、オヤジのグラスファイバーのスケボーでよく滑ってた。
「腰を落として、手はこうだ!」

と教え込まれた時の写真がこれです。




以外にも東北とは幼い頃からの付き合いがあって、福島ツアーでも岩沢から四倉に通って入っていたのもやっぱり僕の愛着があったのかもしれません。


もちろんずっと住んでらっしゃる方が自分の土地を失う事に比べたら、自分の思い出なんて小さな事かもしれないけど、僕の中ではやっぱり残念でしょうがない。


そして去年の311の時に思ったのは、やっぱりこうしてずっと海と付き合ってきた自分の人生を振り返って、それが無くなってしまうかもしれないと思った事。それが一番大きく一番深刻だった。

正直ボディボードシェイパーがどうとかって事よりね。最近全然入ってないんだけど、それでも俺は海が好きなんだよ。


大会の運営、業界、仕事、そして数々の思い出と仲間達。

それぞれの立場、役割を感じてこの一年を過ごしてきたように思います。



昨年の3月11日の地震、巨大津波、原発の崩壊。
その直後夜は眠れず夜中までいろいろな人と連絡取っていたけど、ハワイのポールさんからは「ジャイアン、JPBA is not important」ってメッセージがきた。自分の命を大切にしろって。それが出来たか出来ていないかはまだ答えが出ていませんが、当時運営仲間はみんなハワイにいたことで全てが自分に掛かってるように感じてた。結果責任感と言えば超聞こえがいいけど、実際大会をなげうつ勇気がなかったのは今に至るかな。。ま、それはそれで良かったんだけどね。



そして同時に浮かんだのはバリでの経験。

もう10年が経とうとしているバリのテロ。ちょうどツアーしてて現地に居たので大変な経験をしました。詳しくは書かないけど、前の日まで仲間と座って話し込んでいた大好きな場所に白い布を掛けられた遺体が並んでいた。あの衝撃は今でも強烈。でもだからこそそう言うのは再び起こって欲しくないって強く思う。



日本は平和。

それは良くも悪くもだと思う。
テレビではよく北朝鮮や中国が言論統制をしてるだのなんだの言うけど、日本のテレビには汚れ物や現場の厳しさは流れない。エロ本だって同じだよな。大事なところは見えないの。

「本当」が見えないまま育った僕らには、大事を受け止める強さや準備が備わっていないと思う。でもそれってこれからの日本、世界の中の日本を考えたときには良い事だけじゃないかもしれないね。ビジネスだって戦いであるし、横一列で個性が重んじられない日本の教育や方針は僕は好きではないです。

戦争は嫌いだよ。自分と相手が違うのは当然だから殺し合うのは意味が分からない。
大好きなバリの中にも悪い奴は居るし、興味ない場所にも良い奴は居る。だから~だからで片付けるのはあまりに簡単すぎるよね。



そう言う環境、家族の中で育って40歳のおっさんになった今。

これからの自分をどう活かして行くか、何と戦って行くか。昨日の番組で流した映像を何度も見ながら考えていました。

いろいろな人が居て、いろいろな立場がある。
大会でも選手、スポンサー、運営、ギャラリー、メディア。
仕事でも作り手、乗り手、ディーラー、プロライダー、メディアなど





何の為にみんなが交差してる?

僕らは何を目指して進むべきなの??





そんな思いがいつも自分にはあります。
多分面倒くさい事ばかり言い出すし、都合が良い事も言うし、態度もでかいし、勝手な事ばかりする人間かもしれないけど、その裏にあるのはいつもこういう気持ちなんですよね。





自分の人生を大切にしてきたかと言えば反省がたくさん。それは昨年の離婚の時からずっと消えていない一番の反省点で今一番の取り組みをしています。でも、やっぱり自分の畑を大切にする気持ちも同時に持ちたいんです。

それがBBFUNという活動をしようと思ったキッカケでした。
なかなか上手く行かなくていま頓挫してしまってるけど。。



1人の力が10人の力になり、100人の力になる。
それで一つのことがクリア出来るなら、またその100人が違う事をクリアして行けば良い。100人の意見、立場があるなら、それを最大限利用して一つの目標に向かえば良い。


僕はそういう考えです。
漠然としてるブログですみません。。




ブログ書いてて思ったんだけど、、、


子供の頃遊んだ海。河口があって四倉から豊間方面って。。
もしかして最後の福島ツアーで帰りがけにサーフしたあの河口??

昔はビーチが広かったけど、テトラだらけになっていたあの河口なのかな。

だとしたらその日は凄く良い波で誰も居なくてチューブありロングライドありで最高な気分でサーフしただけにますます残念です。。


PRAY FOR JAPAN.

PRAY FOR SURF.


岩波重之



photo:03


昨日の夕日。スタジオ屋上より。