遠い日の思い出
昨夜はたくさんの夢を観た。
何度も起きてしまったけど、夢は繋がっていたように思う。
海、家族、波乗り。
そんな内容だった。
原発が問題になっている福島は、自分の人生でとても大きな意味を持つ場所。
なぜなら、自分と波乗りの接点をさかのぼると間違いなく福島の海が出てくるんだ。
もう38年くらい昔の事だけどね。(写真があるのがそのくらいから)
今日はそんな時代にタイムスリップしてみるよ。
何度か紹介しているかもしれないけど、親父はサーファーだった。
だったは可哀相か。。本人まだやるつもりみたいだから。
親父の友人の会社が毎年福島に社員旅行に行っていた。
それにくっついて行っていたのが自分と海との出逢い。
ツインフィンが最新だったサーフボードとワックスの匂い。
親父のボードは自作のシングルフィンだった。たぶんパワーコード(リーシュコード)は無かったと思う。
当時はまだビーチが広くて、今だから言えるけど蛤がすげー取れた。
まだ小学校にも行っていない自分だったけど、蛤でお腹いっぱいになったの覚えてる。
全部で20人くらいだったんだけどね。何個取ったんだろう。。
先日実家に行ってきた。
岩波家の好物である「すいとん」を食べながら、今起きている事についてもいろいろと話をした。
親父は当時の海の事を話していた。多分彼にとってもあの時代はとても楽しかった時代なんだろうな。
俺にしてみたら、福島の海は流れが早くて浮き輪で遊ぶとすぐ流されちゃうし、自分を始め子供達が乗って遊んだゴムボートはすぐに転覆してボートの下敷きになって死にそうになったし、水は子供ながらに超冷たかったの覚えてる。でもやっぱり最高に楽しかった。
行くのはいつも夏休みだったんだけどね、当日は決まって兄弟3人で石原湯の隣の床屋に行くのよ。
でおじさんに「かりあげないで、短く丸くスポーツ刈り」って言うの。これは決まり文句だった。
家に戻ると親父が出発の準備をしている。
デリカっていうワンボックス。後ろにベッド作って兄貴達と3人で寝ながら出発。
明け方目が覚めて窓の外を見ると山道を走っている。
そして毎年お世話になっていた石屋旅館が見えてくる。
あの旅館はどこだったんだろう。
山の中の緩やかなカーブから小道を入った場所。
カーブの向かい側にはセメントの工場があった。
宿の玄関を入ると左は廊下と食堂。正面に大きく広い階段があって、2階には4部屋くらいあったのかな?階段上がった正面にはボットン便所がならんでた。(この際だからトイレにスリッパ落としちゃったのも白状するよ。。)
旅館の周りは僕らには最高の遊び場所だった。
裏の山には小さな鳥居があって、アリ地獄の巣もたくさんあった。
砂利道沿いの小川には小さな魚や蛙がいて、その向こうの池にはフナがたくさん泳いでる。
まだ小さかったからお袋に風呂に入れてもらっていたけど、何故か毎年2~3人の若いお姉さんが参加してて、一緒に入ったのもなーんとなく覚えてる。
その部屋にカエル投げ込んだりもしたな~~。「ぎゃーーー!!」ってなって面白かった。
兄貴は蛇捕まえてきたら、蛇大嫌いな親父にマジ切れされてた。。。
思い出が蘇ってしまって長くなった。
写真探したんだけど見当たらなくてね。
今度また探して続きを書いてみる。
あ、最後にこれだけ。
その海は四倉なんだ。
毎年福島ツアーで入っていたすぐ近く。豊間に向かう道沿いの小さな川の河口。
少しでも早く現地が元気になりますように。
そして PRAY FOR SURF.