以前、ブログでお伝えしている事なのですが・・・
一昨年の大晦日の早朝、ロック(サムパパ)が瀕死の状態になり慌てて動物病院へ連れて行きました。
即、入院。
その日の夜、姉に電話で愛犬の死期が近付いてきていると伝えた私。
話を聞いた姉は・・・
「 ( ロック )可哀想に・・・。
もう命が無いのならば安楽死も選択の一つだよ。
頑張れ、頑張れ!と言ってギリギリ迄生きらせておくのも酷。
苦しみながら死ぬのは可哀想。
痛みを与えずにスッと逝かせてあげるのも飼い主の役目だよ。
もう寿命なのよ。
このままだと病院で1人苦しみながら死ぬかもしれないんだよ・・・。」
心配してそう云ったのです。
でも、私には愛犬を安楽死させる気など全くありませんでした。
安楽死・・・
何故、姉はこんな事を言うのだろう・・・
今、愛犬は病院で頑張っているのに。
姉の安楽死発言に対してとても不快に思ったのでした。
まだ生きてる・・・
もしかしたら元気になれるかもしれない。
僅かな希望。
そして・・・
安楽死 = 殺す
私にはそのイメージしかなく
人間の勝手な都合で一つの命を消しても良いのだろうか。
安楽死は、【 犯罪 】に近い行為と思っていました。
愛犬は苦しむかもしれないが、最期が訪れるのを自然に任せるのが一番良いのかもしれない。
自宅に連れて帰っても苦しむだけ、何かあれば病院から連絡があるだろう、最期は抱きしめてあげて看取れるかもしれない・・・
そう思い、翌日の午前中に病院へ面会に行くと愛犬は少しだけですが元気になり回復していました。
もしかしたら連れて帰れるかも・・・
私達夫婦は、回復した愛犬を見て喜びました。
院長先生も愛犬の回復に喜んで下さり安心していたのですが、夕方の面会ではロックは冷たくなっていました。
誰からも見守られる事もなく、一人寂しく旅立っていった・・・
院長先生と私達夫婦、ほぼ同じ時にロックが亡くなっている姿を目にしました。
因みに、院長先生が用事で出掛けている間に愛犬は旅立ったのです。
愛犬の死顔、今でもハッキリ覚えています。
多分、一生・・・
記憶から消したくても消す事が出来ない死顔。
苦しみながら旅立たせてしまった・・・
【 苦しみながら 】
この言葉で済ませたくない位・・・
【 苦 】の死顔でした。
その顔を見て、私の選択は間違っていたと気付かされました。
姉が云う通り、安楽死させるべきだった、酷な事をしたと後悔しました。
もし・・・
院長先生が病院にいる間に愛犬が亡くなっていたら・・・
最後苦しみながら亡くなったとしても、院長先生の手で目と口を閉じてもらい愛犬は綺麗な顔になっていたと思います。
そして
「 残念ですが最後まで頑張ってくれたのですが、亡くなってしまいました。」
そう院長先生から伝えられたでしょう。
私は、愛犬の綺麗な顔を見て・・・
安楽死を選ばなくて良かった・・・
そう思い、私は最後の選択に後悔はしなかったでしょう。
でも、愛犬の苦しんだままの死顔を見てしまった私。
私の選択は間違っていた。
もう二度と愛犬を苦しませたくない。
サムちゃんが最期苦しむ様ならば、安楽死をさせよう。
この様な出来事があり、最後の選択肢の一つに安楽死を入れる事にしたのです。
続く












