真面目な話
結局のところ社会にでても
お客様にとってどんな価値があるのかとか、我々はどうあるべきかとか
そういう話はするし、むしろ考えるべき至上命題であって一生ついて回るわけ
だから、詰まるところバイト時代に
会社の理念とかお客様へのホスピタリティとかを考えていた時間は決して無駄じゃなくて
所詮バイトだからとか
時間の無駄とか思ってる人も
いずれはそういう問題に出会すわけだから
少しはやってみてもいいんじゃないかな
今は学生だから関係ない。
それも正解。
でも、頑張ってるやつを馬鹿にするくらいなら
いっそ構わずに好きなことをした方がいい
ただ、社会に出てそういうことを考える場に出会した時に
会議に参加できる最低限のコミュ力はあってほしい
意見も言わない、書記もしない、まとめも発表もしない
そんなやつはまじでいらん
コミュ力という意味でも経験は大事よね
そう思うこの頃です。
まあコロナもあって直接顔を合わせる機会も先輩を見て学ぶ機会も少ないから
環境もまた大事なのかなと思ったり思わなかったりです。。。
子供の頃
僕はあんな大人にはなりたくないと
そう思っている姿があった
夜遅くに仕事から帰って来て
脱いだ靴の匂いはとてつもなく強烈で
対して飯も食わないまま
缶ビールを開けてねて
土日になれば昼前までぐーすかねて
夕方にはビールを片手に
テレビで野球観戦
しんちゃんのひろしやまるこちゃんのひろしのように、そんな親父でいいのかと思っていたけれども
社会に出て2年
もれなく自分もまたそんなおじさんになっていることに
ただただ悲しみを覚えるばかりで
涙もろくもなったりして
飲めるお酒の量も減ったりして
昨日阿部引退試合を見ながら
もう自分もおじさんに片足をつっこんでるなぁと
そんなことを思います
今日もまた二日酔いと腰痛と戦いながら
ベッドでゴロゴロ
あぁ幸せだ
進路の話。
この時期、夏休みの宿題も兼ねて高校1年生や高2はオープンキャンパスにいく頃ですね
かく言う僕の妹も高2で都内の大学を転々としているようです
予備校にも塾にも通わずに受験勉強をした身として
4年間塾講師として100人以上の進路を見てきた身として
現役生の少しでもヒントになればと、オープンキャンパスのポイントをかきます
①その校舎は本当に自分が使えるのか
立教のようなthe 大学という敷地に憧れる人もいれば、明治のようにオフィス感漂うビルに憧れる人もいるでしょう。
問題は君はそこで授業をするのかって話。
きょうび、大学も歴史長く改築が進められてたりします。
かっこいいと思った建物も、改築のために使えないとか、通えるのは1・2年の間だけで3年からキャンパスは別の場所とか
まあいろいろあります。
その辺よく調べてみましょう。
②図書館に行け
大学生になると分かりますが、図書館は大事です。(理系は分かりかねます)
テスト前にこもる場所としても、レポートを書くための文献を探すにしても、なにより知識を広げるためにも。
図書館は自分の学習環境から近いのか、広いのか、蔵書は多いのか。
僕は勉強しないから関係ないと思っている子ほど、よく見ておくべきです。
直前になって課題をするとき、蔵書の数が救ってくれます。
③現役生はあてにするな
よく現役生に聞いてみようみたいなことを課せられると思います。
聞くのはいいんですが、真に受けるのはやめましょう。n=1です。
みんな自分は楽しんでるといいます。
そもそも受験生のために時間割いちゃうよってくらいには大学好きなわけで、話を聞いても楽しそうですねってだけ。
入ってるサークルは楽しいし、通ってる寮は楽しいし、ね。
主観を除いて、寮の数とかサークルの数とか、おいしい食事処とか、そういう学生しか知らない情報を得られるといいですね。
まあ、自分がなんでその大学に行きたいかを考えてからOCに行きましょう。
家から近い
知りたいことが学べる
やりたいサークルがある
好きな人がいる
学歴ブランドに憧れる
理由はなんでもいいと思うんですよ
ただその行きたい理由が本当に実現できるか
考えながら見に行けるといいですね
駄文ながら参考になれば。
一人称の話。
子供の時からずっと不思議なことがある
なぜ、年寄りはみんな「わし」というのか
いや、あるいは本当に言っているのは聞いたことがなかったかもしれない
それでも確かにそう思い込んでいる自分がいた
アニメやドラマに登場する老人役は確かに「わし」と言っていたし
友達が老人の真似をするときも「わし」と言っていた
まあいわゆるステレオタイプなわけですが
そんなイメージがついたのはなぜかずっと考えていた
考えられるのは
①ある時を境にみんな一人称を変化させる
②老いに伴って口が動かなくなり、江戸っ子の「あたし」が「わし」に聞こえるようになった
③当時の流行りが「わし」で、時代の流れの中で若者は「わし」と言わなくなった
まあきっとこういうのちゃんと勉強してたり、研究論文とかもあると思うんですが
まあここでは妄想ということで
①の場合、子供がママというの恥ずかしくなって、お母さん、おふくろ、くそばばあと言い出すのと本質的には変わらない
なんらかの自制心がもうそんな歳かと、自ら呼び方を変えていく。
ところがこれを自分に置き換えた場合に
ある日を境に僕、ないしは俺、から「わし」に変わるのかと聞かれるとんなことぁないとおもう。
変える理由がないもの。
じゃあ2だとして、これはあながち間違いじゃないとも思うけど、もともと「うち」とか「自分」とか言ってた人には適用できない。
とすると残るは3番
当時は、「わし」が当たり前で、それが普通だった説。
きっとそうだと思うんですよ
ともすればいまの僕とか俺とかが、数十年後、数百年後には老人のステレオタイプとしてよに浸透してるかもなわけで
これはとても面白い
真面目に言ってますか? が マジ?になったように、きょうびマ?って言うくらいだし
言語の変化は面白い
将来の一人称はなんなんですかね
そんなくだらないことを考える通勤電車でした
