源 義経 像 / 徳島・小松島市 | Naoの五線譜

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小松島市にある源義経像に、初めて行ってきました。

 

旗山という小さな山の上にあります。

 

八幡神社の階段を登って

 

家族の健康を祈願

 

義経は悲劇のヒーローと言われていますが、意外と銅像は少ないらしいです。

ウィキペディアでは、ここが日本最大の銅像と書かれていてビックリ!

徳島県はもっとPRすればいいと思います。

 

義経は「屋島の戦い」に大阪から出港し、最初に上陸したのが小松島だったそうです。

義経の狙いは、敵の背後から奇襲をかけるため、兵馬をひそかに四国に上陸させることでした。
暴風雨のなか小松島にたどり着いた義経は、軍船に乗っていた家来たちを集結させ、源氏の象徴である白旗をかかげて士気を高めました。この時、家来たちを集めた場所を「勢合」、白旗を立てた場所を「旗山」と呼び、今の地名として残っています。

( 解説は借用しました )

今でも旗山には白旗がはためいています。

 

その後「壇ノ浦の戦い」で源氏は平家を滅しますが、平家の落人が逃げて辿り着いた場所のひとつが、徳島の祖谷だったので、何か不思議な縁を感じます。

 

義経はその後、兄「義朝」に敵視され奥州・藤原氏の元に逃げますが、代が変わった藤原氏からは疎まれ平泉で自刃します。

 

私は仙台勤務の時に、義経終焉の地、平泉の「高館義経堂」へ個人旅行で3回伺いました。

 

当時の大河ドラマは滝沢君の「義経」でしたね。

 

「義経堂」の中には義経が鎮座されています。

 

義経堂は小高い丘にありますが、下には北上川が流れています。

のちに「芭蕉」はこの場所で、「奥の細道」の「夏草や兵(つわもの)どもの夢のあと」と詠みました。

 

平泉には弁慶の墓もあります。

大昔の大河ドラマで見た、矢がいっぱい刺さる映像は衝撃的でした。

 

平泉には超有名な金色堂がありますが、私は大河ドラマのタイトルバックに使われた「毛越寺」(もうつうじ)が一番好きです。

 

さて、小松島に着いた義経は、

 

ここから屋島まで一晩で駆け抜けたそうです。

約90kmぐらいでしょうか。

 

旗山の麓からも銅像が望めます。

ライトアップもされるのかな…

 

でもやはり、義経と言えば「牛若丸」の頃の、京都の五条の橋の上で弁慶と戦った時が、映像的には一番カッコいいなと思ってしまいますね。

 

義経像の近くは「源氏橋」や「義経橋」など、謂れのあるところが多いです。

 

ちょうど曼珠沙華の花が満開の時期でした。

 

洋名は、レッド スパイダーリリー。

 

 

次男夫婦が川越に住んでいた頃、「巾着田」に連れて行ってくれて見た、満開の曼珠沙華の素晴らしさは忘れられません。

また、いつか行ってみたいです。